【自論・そしてまじめ系】文系・理系という分け方は間違っていると思う

これは個人的な意見なのですが、日本の文系、理系という学問の分け方は間違っていると思います。それによって、日本のいわゆる「考える力」が弱いのではないかというのが私の思うところです。

では、文系・理系ではないとすると何で分けるのか、それは「アート」と「サイエンス」です。サイエンスは科学というイメージでこれは理系ではないかと思われているかもしれないのですが、「人文科学」「社会科学」などいわゆる文系科目にも科学がついており、つまり、文系科目もサイエンスに該当するということです。

では、科学とは何かということですが、所説あると思いますが、私は「法則を発見すること、また発見した法則を使うこと」と思っています。物理・化学などは法則とは馴染みがあると思いますが、例えば社会科学で法則というと、代表的なのは「需要と供給の法則(需要と供給のバランスによって価格が決定される)」ですとか、「規模の経済(たくさん物を作ると1つ当たりの価格は安くなる)」などがあり、この法則を生かしながら、企業活動をやっていたりします。私は大学では経営学を専攻していたのですが、業界の中で突出して成長している企業を調べて、その中で何が行われているのか、その企業はどのような新しい法則を持って事業をしているのかということを研究していました。

さらに言うと法則は「いつ、どこで、誰が行ってもAをしたらBになる」というものがより強い法則で、特定の状況でしか成り立たない法則は弱い法則ということができます。物理学者も経済学者もより強い法則を発見しようと躍起になっているわけです。この「法則を発見したり、使ったりする」ことを考えながら、例えば歴史の勉強を振り返ったりすると、私が学生の頃の歴史の授業はできごとの暗記でしたが、その出来事はどうして起こったのか、そこにはどのような法則が働いてそうなったのか、その法則を生かしてこれから新しい歴史を作っていく今、何に気をつけなければいけないのかなど、ただの暗記と比べると学びの幅が深まるのではないかと思います。

では「アート」とは何か、それは「人が作る表現」だと私は思います。文学や音楽、美術などが学習科目的には該当してくるのだと思います。

私は経営者ですので、では「経営」とはサイエンスなのか、アートなのかと考えると、答えは両方必要です。「こういう社会を作りたい」というアート的な経営者自身の表現も必要ですし、サイエンス的な各種の経営原則も知らなければいけないので合わせ技になるわけです。ただ、割合的にはアート8割、サイエンス2割というのが肌感覚で経営者の仕事においてはアートの感覚の方が重要という気がしてます。

ここまで書いてなんですが、実は欧米諸国は学問をサイエンスとアートで切り分けています。日本の文系・理系という分け方は世界的に見たらマイノリティなのです。なぜ、欧米諸国は学問をそのように分けているのかと考えると、キリスト教文化の影響なのかなと思います。

サイエンスは「法則を発見すること」と書きましたが、ではその法則は誰が行われるのか、それは神様だということです。つまり、サイエンスとは「神様の働きを発見する学問」ということができます。対して、アートは人間の表現ですが、何のために人間が表現をするのかというと「神様への感謝を表すこと」ということができるのではないでしょうか。私も教会に通う身としては文系、理系と学問を分けるよりも、神様を基準にしてサイエンスとアートで切り分けた方がしっくりくるなと思っております。以上おわり。

まじめな話つかれた・・・笑

 

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

大谷 幸拓(おおたに ゆきひろ)
八王子市と相模原市で福祉と医療関連の会社を経営しています。従業員50名前後のまだまだ小さい会社ですが、いずれは全国展開する野望を抱いて、日々の業務と戦っています。
カレーとプリンが好物。最近はカルピスの炭酸割りにはまる。
昔、すいーつ社長と呼ばれていた笑

目次