喜ばれる神様とイエス様に出会って

記事を書いた人 cacao 東京在住。
大変田舎から東京へ出てきて早20年以上。
学生時代はずっと何かしらスポーツをやってきていて、やっと自分はもしかして脳筋だったのかも…と数年前に気づきましたが、神様と教会の方々を通じて芸術面の目も開け、絵画やクラシックを鑑賞することも大好きになりました(^^)
聖書を通じて、牧師に教えてもらったことを通じて、感じてきた経緯など、ポチポチとご紹介できればいいなと感じています^^

目次

はじめまして ブログを始めようと思ったこと

 はじめまして。cacao(カカオ)です。
 私が摂理で聖書を通じて神様のことをはじめて教えてもらってから、早いものでもう約20年になります。
 この20年間の中で、神様とイエス様は、私の人生になくてはならないもの、あって当たり前のものとなりました。
 生活の中で感じる神様、イエス様はとても近く日常的で、その様に感じることができるよう教えてくれたチョンミョンソク牧師のこと、教会のこともまじえ、ブログで紹介できればと思い、今回ブログを始めさせて頂きました^^
 拙い文章になるかもしれませんが、読んでいただけると嬉しいです^^

小さなころの「神様」

 私の実家はたいへんな田舎です。仏壇はもちろん、神棚、像、ご利益があるというお札や、木・石・動物を祭った祠などが、家の中や周りにあふれており、拝み屋をしている方も近くに住んでいる環境で育ちました。
 そのような日本独特の「八百万の神々」があふれる環境の中で、小さい頃から漠然と「神様」はいるだろうとは思っていました。でもその「神様」は、拝み屋の方から聞いた分には、「この○○の神様が、方角にこの杭を立てたのが気に入らなかったので家の主人が病気になった」、「○○の神様がここに人が立ち入るのが気に入らないので、立ち入ったら悪いことが起こる」、「こちらの方角の神様は気性が荒いので、下手にこの方角の土地をつつくと怒られる」、など、ほとんどがこのような話で、「神様」とは気難しいところが多い、厳しく恐ろしいのだなと感じ、心が縮こまるような思いがしていました。
 今振り返っても、本当に怖いですね…。

喜ばれる「神様」

 そのような中、大学終わりに摂理に出会い、聖書の御言葉を聞きましたが、当時は警戒心も強く最初は教養程度に学んでいました。しかし、その中で、神様は私たちが生活の中でよいことをしたときには喜んでほめてくださり、私たちがわかって祈って行えば、それも喜んで細々としたところまで助けて下さる、生き生きとした感情を持った方だということがわかり、私にとっては目から鱗が落ちるような思いでした。
 ほぼ何か恐ろしいものという概念しかなかった私にとって、何より神様が「自分たちを見て喜ぶ」ということが、大きな衝撃でした。
 本当に「愛の神様、愛のイエス様」なんだなぁと感じました。

チョンミョンソク牧師のこと

 私がそのように神様、イエス様の愛をありありと感じられるようになったのも、チョンミョンソク牧師が神様、イエス様のその人柄(神柄?)のことや、その心情をはっきりと細やかに教えてくれたからこそです。牧師は口を開くといつも神様、イエス様以外の話はほとんど出てきません。
 それがサッカーをしている時であろうが、スキーをしている時であろうが、食事をしている時であろうが、絵を描いているときであろうが、話の流れは必ず神様、イエス様に辿り着きます。
 牧師だから当然、と思われるかもしれませんが、本当にいつも、自分ではなく神様、イエス様の心情を第一に話しているのを感じます^^

 そのような中で感じた日常と経緯をぽつりぽつりと書ければよいなと思っています^^
 宜しくお願いします。

牧師の故郷・月明洞(ウォルミョンドン)の自然聖殿とイエス様の像
(出典:https://wolmyeongdong.com/より)

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この記事を書いた人

東京在住。
大変田舎から東京へ出てきて早20年以上。
学生時代はずっと何かしらスポーツをやってきていて、やっと自分はもしかして脳筋だったのかも…と数年前に気づきましたが、神様と教会の方々を通じて芸術面の目も開け、絵画やクラシックを鑑賞することも大好きになりました(*^^*)
様々な面を成長させてくださることや、立ち返ることができる場所を下さっている神様に感謝しています。

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