今日は8月6日、広島原爆の日です。平日でしたが、たまたま有給休暇を取得していて、自宅で「広島平和記念式典」のネット中継をみました。中継ではセミの声が強烈で、現地は今年も快晴のようでした。さまざまな方たちが慰霊碑の献花台に花を手向けたあと、原爆投下時刻の8:15に黙祷の時間となりました。私も自分のいる場所で、平和のためにお祈りをしました。
今日の私は朝起きたときから少し体調が良くなく、旦那さんは自分で朝食を済ませて、家事も少しして、いつも通り会社に出かけていきました。昨夜は、もうすぐ夏休みだけど、コロナであちこち出かけられないし、おうちで何をしようか、など話をしたりしていました。
原爆のことを考えるとき、現在も核兵器は世界中にあって〜とか、当時の国体維持のためには〜とか、日本の核禁止条約の批准は〜とかいろいろありますが、近年は、自分の昨日や今日の「いつも通り」が、その日8:15に全部爆発して、消えてしまったことを想像するようになりました。
今日の式典の子ども代表の誓いの中で、「本当のわかれは、会えなくなることではなく、忘れてしまうこと」という言葉があり、印象に残りました。「平和」という大きいテーマを前に、自分に大きいことは言えないしできないけれど、やらなかったら何にもならないし、忘れてしまう。
被曝者や戦争体験者の言葉、さまざまな記録、自分がそれらに触れて感じた感情を忘れないことが、自分ができる、小さなことだけれど小さいなりにできることだと思いました。「原爆前の世界」はもうないし、そのとき亡くなった方、被爆者として生きた方の多くはもう亡くなってしまって会えない。日常生活の中で、四六時中ずっと平和とか戦争について考えていることもできない。でも、夏には、そこにひとりひとりが生きていたこと、「いつも通り」を突然奪う、核と戦争のない平和な世界を願ったことを、私は忘れてはいけないと感じたのでした。
まみこ