獄中に10年いたチョンミョンソク牧師の言葉と行動 誰かを恨むか、それとも?

摂理 キリスト教福音宣教会 鄭明析牧師

記事を書いた人 mimi 30代社会人
社会人2年目の時、「人生を生きる目的」と「変わらない真実な愛」を探し求めて彷徨っていたら、摂理の御言葉に出逢いました。
人を迎えて仕えることが好きで、ホテルで働いていた私が、本当に思いがけず、主に仕えて生きる人生になりました。
プードルが大好き♡プードルが好きだから似てると言われるのか、プードルに似てると言われるから好きになったのかは…?

目次

「俺のことが憎いか?普通、人が行かないところへ行って、本当に大変だったんだ!」

摂理の御言葉に出逢ったばかりの頃、ある近しい人が、私にこのように言いました。

自分が犯した間違いによって、行くべきところへ行って、受けるべき刑を受けて、そうして戻って来て、数年ぶりに再会した時の言葉でした。

同じ頃、私にイエス様を教えてくださった先生(チョンミョンソク牧師)は、全く身に覚えのないことで訴えられ、無念にも10年もの獄中生活を余儀なくされましたが、先生から、そのような言葉を聞いたことは、たったの一度もありませんでした。

むしろ、世界中から寄せられるさまざまな悩みもがきの手紙を獄中で受け取り、聖書とイエス様の御言葉で答えを与え、いつも励まし力づけていました。

冒頭の出来事があった週、先生が書き送ってくださった主日礼拝の御言葉の主題は
「あなたの父と母とを敬いなさい」イエス様の御言葉でした。

「それでも、あなたを生み育てた親ではないか。許しなさい。愛しなさい。」そのような内容でした。

当時の私にとっては、その通りに行なうことが非常に難しい御言葉でした。もう会うことはありませんでしたが、前述の「近しい人」とは、実は私の父親だったからです。

先生が、一人の敵もつくらず、自分を反対し迫害する人までも許して愛していかれる「イエス様の愛」を実践なさってきたからこそ、伝えることのできる御言葉でした。

このように、摂理の御言葉に出逢ったばかりの頃から、13年余りが経った今に至るまで
先生が教えてくださったイエス様の御言葉通りに行なってみよう!と挑戦する度に、自分の限界を感じると共に
「先生がいかに真実な方でいらっしゃるのか」ということを痛感しながら、ここまで来るようになりました。

先生に初めて会ったときのこと

私が、初めて直接先生にお会いしたのは、10年の獄中生活を経て、故郷の月明洞に戻って来られた2018年の秋でした。

3,4泊ほど滞在していた期間中、先生は毎日明け方から祈りを捧げ、私たちみんなに神様・イエス様の話をなさり、スーツから運動着に着替えるために部屋に戻る一瞬の時間以外は、夜11時を過ぎるまで、すべての時間を共に過ごしてくださいました。

神様の構想でつくったさまざまな作品、岩や松を解説しながら散策に連れて回り、サッカー・バレーボール・テニスと続けて一緒にスポーツをしました。「他にも、できる人いる?」と尋ねられましたが、70代の先生を前に、私たちの方がついて行くのに必死でした。

神様が与えてくださった健康な身体をもって、全身全霊で天に栄光を帰すことを学ぶ時間でした。

夜、もう真っ暗になった運動場で話をされた後、病気で苦しんでいる人たちのために祈ってくださいました。先生の方が疲労困憊で、今にも倒れてしまうのではないかと心配になるほどでしたが、「他にも、体が悪い人いる?」とここでもまた尋ねられ、私たちの方が「先生、もういいです!十分です!」と止めるくらいでした。

いつも私たちの期待以上に与えようとなさる先生の姿に、何とかして神様の愛、イエス様の愛を伝えようとされていることを感じました。「この方は本当に、神様の愛の塊、イエス様の愛の塊だ!」と思いました。

そのような先生の姿を直接見たので、日本に帰国してから「私も愛の塊になろう!」、「先生のように、神様の愛、イエス様の愛で、命を愛してみよう!」、「限界までやった後、そこからもう少しやってみよう!」と決心しました。

[新約聖書:エペソ人への手紙6章6~7節]
人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのでなく、キリストの僕として心から神の御旨を行い、人にではなく主に仕えるように、快く仕えなさい。

これは、職場でずっと接客・接遇をしてきた私が、いつも心に留めていた聖句ですが、どのようなゲストが来られたとしても分け隔てなく、自分の心の状態がどのようだとしても変わらない笑顔で、人にではなく神様・イエス様にするように、また、自分を通して神様・イエス様の愛を現わせるように、いつも本当に心からの真心で迎えて仕えるということは、簡単なことではありませんでした。

職場でも教会でも、先生のように満ち溢れるほどにはできず、私の心では足りなくて、相手のすべてを受け止めることができないこともありました。理不尽なことに耐えきれない思いになったり、自分の愛の足りなさ、自分の心の小ささ、自分自身の限界を痛切に感じることがとても多かったです。

それと同時に、これは、やろうと決心するからと言ってできることではなく、先生が本当にそのような方だから、先生が本当に真実な方だから、だからできることなのだと痛感しました。

先生はいつも「御言葉で、自分の心考えを、神様・イエス様の心考えと一体につくりなさい」と教えてくださいますが、私も続けてそのように挑戦しながら、自分を通して神様の愛、イエス様の愛を現わし伝える<愛の塊>になりたいです!

摂理 キリスト教福音宣教会 鄭明析牧師

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