したいことをするのか?してほしいと望まれることをするのか?

医療、もしくは私生活の様々なことをする時によく考えることです。

私はこれをしたいと強く思う人ではないです。望まれることをしたい人です。とはいえ、したいことがないわけではないし、したいことをしていないわけでもないです。ただ、したいと強く思っている人ならどんどん色んなことを突き進めて行けると思いますが、私にはその突破力が少ないといつも思っています。

医療者としては、患者がいないと何をしたら良いのか思いつかない人です。医療行為、特に持っている技術を使うことが楽しくて、それを使ってどんどんやっていこうという思いが弱い人です。患者がいて初めて、この技術や知識が必要だから、それを得て望まれることに貢献していこうと思う人です。

そのため、あまりビジョンを示せない人です。一緒に働く医療スタッフに対しても、私からこれしよう、あれしよう、こうしてほしいと要求することが少ないです。働くスタッフは困り果てますよね(笑)なんとかしたいものです。

ちなみに、信仰者なので、よく考えることは神様が自分に何を願われているのか?それを成してさしあげたい、ということです。つまり望まれることをしたいのです。

とはいえ、見えない神様だし、あまり霊的ではない自分は神様の声を聞くこともできないので、その望まれることがよくわからないのです。

大きな望まれることは、毎週宣布される御言葉や、聖書にあるのでわかるのですが、個別の生活の中の細かいところに関しては自分で悟るしかないのです。

これが、大変・・・よくわからないので。でも、これが信仰の醍醐味と思っています。

祈って、御言葉聞いて、行なって、悟って、これだ!!となった時の喜びは何物にも代えがたいものです。

今週の御言葉で、なるほど~と思うことがありました。

自分が考えて行なっている途中に感動を与えて、神様がしてほしいと願う方に向かうように働かれるとありました。また、祈りつつ感動受けられるようにと生活の8割以上は意識しておくと良いともありました。

このように生活していけばしたいことをしていたとしても、してほしいと望まれることをしていくように感動を与えることで軌道修正して下さる神様なのだと学びました。

これが、今の自分、これからの自分にとって大切かつぴったり当てはまる生き方だと思いました。

皆さんは人生の転換期、とまでいかなくても生活の中で選択を迫られた時にどのように判断して決定していきますかね?私は、望まれることをしたいと思いますので、感動を受けられるように祈りながらその瞬間にしたいと思うことをしていきたいと思いました。

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この記事を書いた人

天運教会(キリスト教福音宣教会)に所属する、総合内科、消化器内科、内視鏡を専門とする医師です。救急・ERやへき地医療を経験し、病院勤務医を経て現在はクリニックを開業し経営者となりました。2児の父でもあり、子育てと仕事の両立に奮闘しています。

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