2011年3月11日14時46分
私はその時何をしていたかというと、
怠けてました。しかも、かなり。
子供たちを保育園にあずけ、にもかかわらず私はするべき仕事にやる気が起きずに、旦那の本棚にずらっと並んだ手塚治全集400巻の中の1冊を読みふけっていました。
その時、人生で、体験したことのない強い地震の揺れを体に受け、飛び上がるほど驚き、家の中で一番安全だと思われる、階段の下の狭い廊下にしゃがみ込んで、「ああ、自分はこんな時に怠けていて、ごめんなさい、本当にごめんなさい!神様助けてください!」と罪悪感にうちひしがれながら顔を伏せ、必死に助けを求めていました。
再び、一度大きな揺れが起き、恐怖で必死で神様にすがっていると、
誰もいないはずの我が家の階段から、
「コトン、コトン、コトン、コトン、」とゆっくりと何かがおりてきました。
顔を上げると、なんとイエス様と目が合いました。
それは、イエス様のポストカードを入れたフォトスタンドでした。
この時感じた衝撃的な安心感は今も心にはっきりと残っています。
「たった一人ここにいる私のところまで、イエス様が来てくれた、ああ、本当に救い主だ、神様は優しい、感謝します!」
と、イエス様を抱きしめて涙しました。
もう大丈夫かな?と思ってから家の外と中をくまなく点検しましたが、変化というと、ガスの自動停止システムが働いていたこと、台所の吊り戸棚の地震感知ロックが降りていたことのほかには、我が家で破損、落下などで位置が変化したものは全くなく、強いていえば本棚端っこの本が1冊パタリと倒れたこと、そして唯一大きく場所を変えたのがこのイエス様のフォトスタンドでした。
イエス様フォトスタンドはもともとどこにいたかというと、階段の中央の上の方にある採光窓の枠に置いてありました。その大きさははがきよりひとまわり大きいだけだからつまり階段の段の中にすっぽりと収まるくらいに小さいのです。
しかも軽くて平たい板状であるのに、そこから落ちて、ゆっくりと一番下まで降りてくるとは!!??
ただ今実況見分したところ、滑るように垂直下175センチ下の階段の5段目に落ちて、微妙なバランスを保ちながらゆっくりと回転して階段を降りてきたのだと推測されます。
その時、下校途中だった長女は友達と「おっとっと~」とサーフィンのようにバランスを楽しみながら帰ってきたと笑っていました。(小1、無邪気)下の子たちも3時に保育園に迎えに行って無事一家集合。(パパは海外出張中)
保育園の子供たちの中には、両親が帰宅困難となり、夜の11時過ぎまで保育士と園に待機した子もいたと聞きました。
八王子市は震度5強、とても怖かったです。
震度7が記録された宮城県北部や震源地から近い地域の揺れやそれに続く津波や原発の悲劇、それはどんなに恐ろしい状況だったのかと想像するだけで腹の奥がシュッとなります。
八王子は停電くらいで済みました。(とはいえ、我が家含む一部地域では、計画停電もしばらく続き、特に経営者の方々は大変だったと思います)被害の大きかった地域のためにニュースを見るたびに祈りました。
まもなく、教会から、チョンミョンソク牧師が心配して日本のために祈っている、そして「被害のあった摂理の会員とその家族たちは支援をするから被害状況を連絡するように」という通達がありました。チョンミョンソク牧師の迅速な行動、被災した人たちを慮る(おもんぱかーる)暖かい言葉に感動しました。(支援は速やかに実行されました。)
立派な人になりたいなら、立派なことをしなければならない。「どんなことが立派なことですか?」「あなたは誰が立派な人だと思うか?」「イエス様、神様です。」「それではその方たちの仕事をやってあげる人が立派な人だろう。」
2012年6月1日出版 チョンミョンソク牧師著「天の言葉私の言葉 第1巻」より
震災の時のフィンランドからの支援物資として、当時は日本では認可されていなかった乳児用の液体ミルクが送られたことが印象的でしたが、世界各国から多くの支援を受けたことにはじんわりとした温かさを感じました。
トルコ地震では、日本の救助チーム73名が捜索、救助にあたっているとのこと。被災者の方々、そして、国境、宗教、人種を越えて助けあっている、イエス様、神様の仕事をされている方々の無事を祈ります。