人生一生自分を作ることだ ~自分の考えでなく、神様とイエス様の考えで自分を作ること~

こんにちは、Cacaoです。先日はとてもきれいな中秋の名月を見ました! また、気候もますますぐっと秋めいてきたこの頃、体もほっとしているのを感じます^^

ハッとするような綺麗なものを見ると、神様の神秘さを感じますが、それは、ローマ人への手紙1章20節「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。」にあるように、美術家の作品がその作った人の性質をあらわすように、自然万物がそれを作った神様の性質をあらわしているからと言われます。

 高い山々を勇壮に感じるのも、流れ落ちる滝を美しく感じるのも、それらが全て神様の性質をあらわしているからそう感じるのだなと、しみじみと納得しました。

目次

『人生一生自分を作ることだ』

 今日は、むちゃくちゃ聖書を実践したチョン・ミョンソク牧師が神様、イエス様から聞いた御言葉の中で、私が本当にそうだ、と思う言葉を紹介しようと思います
 それは『人生一生自分を作ることだ』です。
 「一生一作」ともいいますが、とにかく、人生は自分を作ることだと、牧師は、神様、イエス様からよくこの御言葉をもらって話してくれます。

挑戦し続ける牧師の姿

 牧師は、イエス様のことが本当に好きで、小さいころからイエス様が再び来るという聖書の約束を心待ちにしていました。だから新約聖書も何度も何度も読んで、イエス様が行われた通り実践してみようと、自分も貧しいのに、更に貧しい人や、精神の病にかかっている人たちと一緒に暮らして体を洗ってあげたり食事を準備してあげたりと助けたりしました。そのように実際に行う中で、イエス様が新約で行われていたことが、実際どれほど大変なことだったのか、身をもって知るようになったそうです。

 そうやって牧師が実践をするから、神様、イエス様は牧師に深い御言葉を下さり、その中の一つがこの「人生一生自分を作ることだ」です。
「人生一生自分を作ることだ」と、文章そのままの意味ですが、この年齢になってこそ、その言葉の大きさをいつも感じざるを得ません。
 子供のときや、中学、高校、また大学生くらいまでは、自分を作ることをとても重要視すると思いますが、また柔らかい頭などで治すことも色々なことに挑戦することもできますが、私のようにある程度の年齢になると、自分は「これが自分」と思うところもあるし、また自分を変えよう、もし何かに挑戦しようと思っても、年齢のせいかなかなか自分自身を思うように変えることができなくなっていくなと感じます。
 そんな私なので、最初は「まだ作らなきゃいけないのか、もういいんじゃないのかな」と正直思ったこともありましたが、その考えが変わったのは、いつも挑戦して自分をさらに作ろうとする牧師の姿を見てきたためです。

自分の考えでなく神様、イエス様の考えで

 牧師はいつも絶え間なく挑戦を続けています。現在はもう80歳近い年齢でも、故郷の月明洞(ウォルミョンドン)の木や石の手入れなどの作業はもちろん、時にサッカーをしたり、時にバレーをしたりテニス、卓球をしたり、時には起伏の激しい山道を走ったりと、その挑戦はやむことはありません。しかしそれは、牧師が自分がやりたいことを色々と挑戦して、やりたいように自分を作っているというのではなく、神様とイエス様と祈りで対話して、神様とイエス様がいつも何を望まれているかを聞いて、感じて、また、私たち御言葉を聞く人達、若い人たちも多い中で、どのようにしたらより皆が恵みを感じられるか、皆が神様、イエス様を感じて栄光を帰して過ごせるかなどを考えて、そのためにまず自分が神様、イエス様と相談し挑戦していく姿でした。

 そしていつも寝食を最大限削ってまで、自分が倒れそうになるくらいまでやることも少なくありません。自分の考えで、もうこれくらいでやめておこう、とするのではなく、神様、イエス様がやりたいところまで、皆にやってあげたいところまでやって、その中で神様とイエス様のことを私たちに沢山伝えようともがいている姿でした。

 私もその姿を見て、その御言葉を聞いて、こんなところで止まっていてはいけないなと感じるようになりました。

牧師が神様の構想・考えで作った月明洞の岩の造形。もともとはコンクリートで平らに段になるよう作ろうと思っていましたが、神様の考えをもらって作って、最初と比較できないくらい壮大なものになりました。(キリスト教福音宣教会 月明洞(ウォルミョンドン)紹介サイト〜世界一大きな自然の教会〜 (wolmyeongdong.com)より)

神様、イエス様の考えは私たちの考えより高い

 会社で働く中でも、色々な人と接する中でも、まだまだ自分を作っていかなければならないと思うところも多く、本当に「人生一生自分を作ることだ」なといつも感じます。
 また、ある日の説教の中で「自分をどのようにつくるのか。自分の知恵と知識で考えてつくるのか、それとも、神様・イエス様の考え通りにつくるか、どちらなのかが大事です。」とあってはっともしました。

 人は将来のことを考えているといっても、現在直面している目先のことだけしか見えず考えられずのことが多いですが、神様はもっと大きく先まで私たちのことを分かっていると思うので、作るにしても、どうせ作るのならそれをやみくもに自分が思うようでなく、神様、イエス様が思うように作ることができたらどんなによいだろうと改めて感じました。

 イザヤ書55章9節で「天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。」といつも話される神様です。

 自分より考えの高い神様、イエス様の考えをもって自分を改めて作っていきたいなと思う今日この頃の私でした。

 今日もお読みいただきありがとうございました

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この記事を書いた人

東京在住。
大変田舎から東京へ出てきて早20年以上。
学生時代はずっと何かしらスポーツをやってきていて、やっと自分はもしかして脳筋だったのかも…と数年前に気づきましたが、神様と教会の方々を通じて芸術面の目も開け、絵画やクラシックを鑑賞することも大好きになりました(*^^*)
様々な面を成長させてくださることや、立ち返ることができる場所を下さっている神様に感謝しています。

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