敵を愛した、偉大なダビデ

旧約聖書に出てくる有名な人物の一人と言えば、「ダビデ」です!

最近、ダビデが登場するサムエル記を読んで、感じたことを書きたいと思います。

旧約時代、イスラエルの民たちが、「自分たちを治める王様を立ててほしい」と祭司(今で言う牧師)に願い求めました。(サムエル記上8章4~5節)そして立てられた初代王様が、サウル王です。しかし、サウル王は初めは神様の言うことをちゃんと聞いて行なっていたのですが、だんだん神様の言葉に不従順になってきて、神様が「サウルを王様にしたことを悔いる」と言うほど、神様の言うことを聞かなくなってしまいました。(サムエル記上15章11節)

そこで、神様がサウルに代わって別の王様を立てたのですが、その王様がダビデ王です。ダビデは、常に神様に感謝し、栄光を帰して生きていました。神様を絶対に信じる信仰がものすごい人でした。

ダビデが王様になる前、サウル王のもとで、軍人として近隣諸国との戦争によく参戦していました。ダビデにはいつも神様が共にして、戦争で連戦連勝でした。サウル王も戦争で敵をたくさん殺しましたが、ダビデはそれ以上に敵をたくさん殺して、多くのてがらを立てました。だんだんダビデの名声が世の中に広まっていきました。そして「サウルは千を殺し、ダビデは万を殺した」と民たちがさわぐようになりました。(サムエル記上18章7節)この言葉を聞いて、サウルは、自分よりダビデが高い評価を得ていることに怒りを覚え、嫉妬し、ダビデを殺そうと思います。サウルの立場からしても、ダビデが功績をあげることは国の繁栄に繋がるため、ダビデの活躍により恩恵をこうむることができるはずだったのですが、自分よりもちやほやされているダビデがうらやましかったのか、ダビデを憎むようになってしまいました。

結果、ダビデは何も悪いことをしていないのに、サウルから追われる身となりました。サウルとその従者たちは常にダビデを探し、「ダビデがどこどこにいる」という情報を手に入れると、すぐそこに向かい、ダビデを殺そうとしました。ダビデは常に死が隣り合わせにある、緊迫した状況の中で、逃亡生活をするしかありませんでした。

そしてある時、ダビデとその従者たちがほら穴に隠れていた時、サウルが用を足すためにほら穴に入ってきました。サウルはダビデがいたことに気づかず、ダビデはサウルが入ってきたことに気づきました。そこでダビデは、用を足して油断しているサウルの上着のすそを剣で切りました。サウルを殺すことができる状況だったのに、「神様が王様として選んだ貴重な人を私は殺すことができない」と言ってサウルを殺しませんでした。そしてサウルがほら穴から出てしばらく進んだところで、ダビデもほら穴から出てサウルに叫びました。「サウル王よ!私は今日あなたを殺すことができたのに、殺さなかった。あなたの上着のすそは私の手にあります。あなたは私を殺そうとしていますが、私はあなたに対して間違いを犯したことはないのです。どうぞ、神様が私とあなたの間をお裁きになりますように」これを聞いて、サウルは自分の上着のすそが切れているのを見て、驚きました。そして涙を流しながら、「あなたは私よりも正しい。私はあなたに悪を報いたのに、あなたは私に善で報いた。今後あなたを殺さない」と言いました。(サムエル記上24章)

ダビデは敵を愛したのです。これがものすごい偉大な実践でした。

しかし、サウルはしばらくすると、また以前のような心に戻ってしまい、ダビデを殺そうと思い、ダビデを血まなこになって探します。あるとき、サウルが宿営しているところをダビデが遠くから見つけました。その夜、サウルたちが寝ているところにこっそりダビデが侵入し、サウルの枕元にあったやりと水の瓶を奪い、立ち去りました。そのやりでサウルを一刺しにして殺すこともできたのに、ダビデは「神様が王様として選んだ貴重な人を殺すことはできない。そうしたら私が罪びとになる」と言って、今回もサウルを殺しませんでした。そしてその宿営からしばらく進んだところで、サウルに叫びました、「サウル王よ!どうしてあなたは私を殺そうとするのですか。私に何の悪いことがありますか。王のやりと水の瓶がどこにあるか見なさい。」サウルは枕元に置いたやりと水の瓶がないことに気づき、ダビデが自分を殺せた状況でも殺さなかったことをわかり、「私は罪を犯した。もうあなたを殺さない。」と言いました。(サムエル記上26章)

ここでもダビデは、自分を殺そうとする敵を愛し、殺しませんでした。

結局サウルはペリシテ人との戦争で大きな傷を負って、敵に殺されることが恥だと思ったのか、その場で自害しました。サウルや多くのイスラエルの民たちが死んだ知らせを聞いて、ダビデは悲しみ泣いて、夕方まで断食したと書いてあります。(サムエル記下1章12節)自分を殺そうとしていた憎いサウルが死んだとしても、彼の死を喜ぶことなく、神様が選んだ王様の尊い命がなくなったことを悲しみ嘆くダビデの心は、まさに命を愛する神様の心ではないでしょうか。

ダビデの、自分を殺そうとする敵さえも愛する実践にとても感動しました。私もダビデのように、敵のような人でも愛して生きていきたいと思います。私にとっては敵のように憎たらしく見えたとしても、神様から見れば、どんな人でも尊く、愛らしく見えるのだと思います。心から命を愛する神様の考えは、水準の低い人間の考えとは異なるなあと感じます。

イエス様もこのようにおっしゃっています。

マタイ5章44節 (中略)…敵を愛し、迫害するもののために祈れ。

私の職場には、よく私を馬鹿にして見下し、何でも私のせいにする敵のような人がいます。殺人鬼の目つきでばかと数百回言われたり、人前で私のうまくできなかったことを話してばかにされたりしました。本当に無念で悲しくて辛かったけれど、言い返すこともなく、ばかにされ続けました。最近は、以前よりばかにされることが少なくなったので、神様に感謝します。

最近はばかにされたとしても、以前ほど気にならなくなってきましたし、神様がその人を愛していることを考えると、許せるようにもなってきました。また、無念な思いをさせられても敵を愛してきたダビデのことを考えると、私もダビデのように敵を愛さなければ、という思いがわいてきて、愛せるようになる時もあったり、普通に接することができる時も出てきました。

まだまだ足りないですが、完全に敵を愛する次元に至れるように、自分を作っていきたいと思います!

私は弱いですから、神様どうか、私に御力をください。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

福島県在住。黒毛和牛のお世話の仕事をしています。
畑で野菜も少し作っています。
都会暮らしに疲れて、田舎暮らしをしています。
2024年現在31歳。

目次