キリスト教では、神様からの恵みや祝福を人に伝えることを「証」と言います。
神様は目に見えないし、直接話せないので、証をする人が必要なのです。
なので、神様にとって栄光となる証は、教会的にはかなり推奨される行為なのです。
証をすると神様が喜ぶ、証をする人にさらに祝福を与える神様、、、えぇ、存じ上げております。
ただ、人はあまりにも鈍いので、神様から受けた恵み、その喜び、感動を忘れてしまうし、そもそも恵みに気付かない、喜べない。
だから証をすることを躊躇してしまうんですよね。今は、喜びや感動がその時からは冷めてしまっている。もしくは、神様からの恵みの価値を、心の底から感じられない。だから証出来ない。そういう時も、あるよね~
で、先日、証をする機会があったんですよね。
とても感動があって、、、とか。これは本当に奇跡的だ、、、とか。そういうことが最近あった訳ではないから。
証することないな~と。この時点で、感覚が鈍っているとは思いますが笑
無理にしなくても良かったのですが。でもまぁ、よければ証を、、、と、せっかく機会を作っていただいたので、半ば無理やり?証をした訳です。
そうしたら、証しながら、聖霊の感動を受け、神様の心を感じて、結局、自分がとても恵みを受けました笑
やっぱり、証をすると神様が喜ばれるのだな、証をする人に祝福を増し加える神様なのだな、経験として悟りました☆
自由意志を与えられた人間ですが。神様を喜ばせることは、多少無理やりだとして、やることをオススメします!
御言葉は、すぐ受け入れられることばかりではないし。まずはやってみないとですしね。
経験は、理論に勝る。
聖三位の御働きと愛を、たくさん証するよ~(^^)/