摂理にきて、ここに神様がいらっしゃると初めて確信したこと

 こんにちは、cacaoです。
 今年の夏は大変な暑さでしたが、夏になると私がよく思い出すのは、自分が摂理で御言葉を聞くようになって、ここで神様の存在を確信した夏の出来事です。
 神様を漠然と少しは信じていましたが、そこからはっきりと神様がいて、働きかけていることを確信した経緯です。

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ある夏の日の1つ目のしるし:渋滞が解消されたしるし

  当時、夏に教会の皆で交流もかねて、富士山湖畔の宿泊施設で御言葉を聞いたり、スポーツなどをする企画がありました。
聖書を教えてもらい暫くたった自分も一緒に参加したのですが、当時、聖書で教えてもらえる神についてはまだ漠然としていました。
 私は田舎の、日本の八百万の神という概念にあふれている中で育ったので、神様の存在について多少信じてはいたものの、神様は本当に存在するのかという思いも正直ありました。八百万の神に真剣に祈ったこともあったのですが、それがかなっているか、特にこれといった出来事もなく感じることができなかったからです。

 しかし、その日は行きの渋滞がひどく、到着時間に遅れるかもしれないと、バスの中で司会をしている人から説明がありました。また、「予定到着時間につけないと、色々予定が押してしまうので、渋滞が解消されるようにぜひお祈りしてくださいね」とも言われ、それを聞いた私は正直、「え、そんなことをお祈りしても無理なのでは」と思いましたが、心の中で一応、渋滞が解消されて早くつけますように、と半信半疑でお祈りしたのを覚えています。

 するとなんと、その後渋滞が緩和されて、するするとバスは進み、ちょうど予定の時間ほどに目的地に到着することができ本当に驚きました。しかし、疑り深い私はまだ、たまたまじゃないかな、とも考えていました。

2つ目のしるし:天気のしるし

 その後、スポーツでサッカーをしましたが、空の雲行きが怪しく、真っ黒な雲がところどころを覆って雨が降るかと心配でした。それでも皆で神様にスポーツで栄光を帰そうと続けたのですが、結局雨は降らず、むしろ日差しも差して楽しい時間が過ごせました。しかし、その後、皆のために飲み物を車で買い出しに行ってくれた数名の人が帰ってきて、「すごい、雨が降っていない!」とびっくりしていました。

 その買い出しに行ってくれた人たちによると、車で買い出しにいった少し離れたところでは雨がすごく降っていて、でも空を見ると、ちょうど私たちがいるであろう場所だけ、周囲とは違って雲が覆っていなく空があけているのが見えて、帰ってきたら本当にここは雨が降っていなく日差しが差していた、とのことでした。
 そんなことは本当にあるのだろうか、と思った時、誰かが私に「神様は一人よりは大勢の人の祈りがあるとより聞かれ、またこうやって神様をわかって信じる人が多く集まっているとき、しるしを起こしてくれることが多いんだよ」と教えてくれました。

 確かに聖書には「マタイによる福音書18章18~19節:また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」と書いてありますが、しかし当時の疑り深い私は、ただ「渋滞の緩和も、この天気のことも本当に神様のしるしなのかな…」とまだ思っていました。

人の力ではできないしるしと初めて神様に問いかけたこと

 しかし決定的だったのは、そのすぐ後に起こったもう一つの出来事でした。
 そのスポーツの最後ごろ、天気も全体的にだいぶん回復して空が広く晴れた時、「天使のような雲が出ている!」と誰かが言い、皆で空を見上げると、そこには確かに天使のように見える雲が出ていました。
 青空の大きな雲は、羽があって優雅に飛んでいる天使のようでした。
 渋滞の緩和も、雨雲がはれていたことも、またこの雲の出現も、決して人の力でできないことの連続に、私はその時、初めて、「神様、神様はここにいらっしゃるのですか?」と心で問いかけました。
 何度も疑った私に、まるで神様が、「私はここにいる」、と本当に答えてくださったようでした。
 それも機会になり、私はもっとまじめに、ここで神様を信じて聖書を学ぼうと思いました。
 そして、先生から御言葉を通して神様、イエス様のことを学ぶほどに、私だけでなく、私と同様に全ての人に「私はここにいるから、私が愛して助けるから、私をわかって呼んでほしい」と思っていらっしゃる神様、イエス様なのだとわかりました。

 マタイによる福音書11章 28~30節「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」とあるように、先生を通じて、その都度の御言葉で、神様、イエス様から、生活の中で、人生の中で、どのようにすればよいかを教えて下さり、時にしるしも起こしながら今も助けて下さっているのを感じてやみません。

神様がプレゼントしてくれたもう一つのしるし

 なお、補足になりますが、その時の天使の雲は、誰かが写真を撮ってしばらく教会に飾られていましたが、自分がその経緯を誰にも話していないにも関わらず、年月を経て、偶然、何故か私がその写真をもらえることになりました。
 他の人はその雲と自分のいきさつを知らない中で、その雲の写真が時を経て私の手元に来たことも含めて、神様のしるしとしか思えません。
 何より、そのように神様が働き、それを感じることができたのも、いつも神様のことだけを真実に伝えている先生に学んだからこそです。
神様も、自分の人格(神格?)、思いがわかる方に働くのだと思いました。
また、社会の中ではとるに足らないこんな自分でさえも、神様は愛して下さっているのだなと感じ、生活の中で様々大変なこともありますが、それに勝って日々感謝しながら生活できていることが何より大きいと感じています。摂理で真実に神様を知れてよかったと本当に思います。

         *雲のしるしの実際の写真

  今日も読んでくださってありがとうございました

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この記事を書いた人

東京在住。
大変田舎から東京へ出てきて早20年以上。
学生時代はずっと何かしらスポーツをやってきていて、やっと自分はもしかして脳筋だったのかも…と数年前に気づきましたが、神様と教会の方々を通じて芸術面の目も開け、絵画やクラシックを鑑賞することも大好きになりました(*^^*)
様々な面を成長させてくださることや、立ち返ることができる場所を下さっている神様に感謝しています。

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