もうすぐクリスマスですね。当たり前ですが、クリスマスって何の日か知っていますよね?
そうです。イエスキリストの生誕を祝う日ですね。
私はその常識すら、摂理に来て信仰を持つようになるまであまり知らなかったかと思います。なんとなくイエスという人が生まれた日なのか?みたいなぼんやりとした認識でした・・・(^^;
摂理に来て、鄭明析牧師からイエスキリストについて、クリスマスについて、救いについて学ぶようになって、クリスマスの意味を正確に知るようになりました。
牧師が話された言葉でいつも思い出すのは「毎日がクリスマスだ」という言葉です。キリストの生誕を祝うのは12月25日だけでなく、毎日祝うべきだし、感謝すべきだから、このようにおっしゃいました。
確かに、と妙に納得いきました。そもそも、イエスキリストは実際に12月25日に生まれたわけではないと言われています。生誕を祝う日、感謝をささげる日として、その日が設定されたようです。
キリストの言葉、聖書の言葉に救われた人は数知れずいるかと思います。私自身も聖書の言葉を通して多くの答えを得るようになり、感謝が尽きません。
12月25日だけでなく、毎日生誕を祝い、感謝をささげる鄭明析牧師の姿はあるべき姿だと思いました。
牧師が12月になると説教を伝える講壇をクリスマスの飾りで彩って、サンタクロースの動く人形を置いて、電飾でキラキラさせていた姿がとても印象に残っています。
イエスキリストが人類にとってどれほど大切な存在で、どれほど多くの偉大な言葉を残してきたかを生き生きと話される牧師の姿は、まるで恋人を自慢するかのような姿でした。
牧師はイエスキリストを心から愛していて、尊敬していて、その言葉を大切にし、実践している方なんだと感じていました。
そんな牧師からイエスキリストのことを沢山学んだ私は、クリスマスの意味を正しく知るようになり、その日はキリストの生誕を祝い、感謝をささげる日として過ごしています。
また、神様が望むのはその日に友人や家族と仲良く過ごすことでもあります。私はその神様の想いを知ってからは、クリスマスは大切な人に感謝する日としています。神様を信じている信仰を持っている人だけのクリスマスではないので、どんな人にとっても特別な日であってほしいのでそのような日としています。
全ての人が誰かに感謝をしたら、きっとその日は平和な日が訪れるように思います。その平和こそが、神様が願うクリスマスですし、イエスキリストが生まれた理由でもあります。
全ての人にとって素敵な日になることをお祈りします。
「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように。」ルカ2章14節