あなたは、何かを熱く信じたことはありますか?

こんにちは。ボクです。一週間いかがお過ごしでしたか?皆さんは今までに何かを熱狂的に信じたことはありますか?「信じる」と言えば仰々しいですが、アイドルに熱中することや、周りも見えなくなるほど人を好きになることも、ある種の信じる行為だと思います。今回は神様を信じるボクが、「信じる」と言う行為について考え、人生を振り返る機会になればいいと思います。

ー「信じる」とは?

そもそも何も深く考えず使っている「信じる」という言葉ですが、どういう意味でしょうか?(笑)ボクは普段から言葉の意味を調べることが好きなので、辞書で調べてみたところ、「少しの疑わず本当であると思う」、「自分の考えや判断が確実であると思う」といった意味や「信仰する」という意味がありました。しかしここで辞書の解説をいったん無視して、ボクの解釈を発表したいと思います。ボクにとっての「信じる」とは「自分が価値を見出した対象を疑わず確信する」ということです。例えば、あなたが愛して止まない恋人がいたとします。あなたは世界中の何十億人という人の中から、彼・彼女のことを「かっこいい」「優しい」「美しい」「可愛い」と唯一無二の価値を感じ、好きになりお付き合いを始めたのでしょう。つまり「信じ」ている状態です。もっとラフに考えると、あなたが世界一おいしいと思うお菓子があり、毎日でも食べたいし誰かにこのおいしさを共有したい、と思ったときは「信じ」ているということではないでしょうか?

ー信じる基盤が作りにくい世の中

しかし、現代の世の中では一心に「信じる」ということが難しくなっているのではないかと考えます。連日芸能人の浮気や不倫のニュースが世間を騒がせていますが、これは信じていた恋人・配偶者に裏切られるということです。また、政治家の不正なども国の運営を任せてくれている国民に対する裏切り行為と呼べるでしょう。友人が寝坊して約束を反故にしたくらいなら笑って見過ごせそうですが、誰よりも信頼を寄せている家族や正しくあるべき公的な身分の人に裏切られるショックは大きく、「一体誰を信じたらいいんだ!?」と疑心暗鬼になりそうなものです。つまり、現代は「信じる→裏切られる」までがワンパッケージになっていて「どうせまた裏切られるし、裏切られるのが怖い」と簡単に信じられない世界だと思います。

ー神様を信じること

前置きが長くなりましたが、神様を信じながら生活するとはどのようなことなのでしょうか。聖書を学び始めたころは、毎日教会に通って肉も食べず酒も飲まず、神様と疎通しボクでは手の届かないような次元の生活をしていると思っていました。確かに、このように清く生きることが何より素晴らしいことですし、ボクも目指したいとは思います。しかし今では、神様と生活するということはもっと論理的で緻密なものだと考えるようになりました。ボクに神様を教えてくださる牧師さんは、説教をするときに良く例えを用いられます。その例えが非常に論理的でいつも驚かされます。例えば、神様を完全に100%信じたときに得るべきものを得る、ということを説明するためにある比喩を用いて話されました。「銀行で手続きをするときに1%でも書類に不備があれば、お金をおろすことが出来ない、100%満たしてこそお金を得ることが出来る、だからそのように神様を100%信じなければ得られるものも得られない」と仰いました。また、「神様のことを少ししかわからない時は紙を側面から見ているようだ、角度を変えてみると紙の広い面が見られるように、別の角度から見ると神様を多く信じられるようになる」と仰いました。まだまだ語りつくせない程ありますが、このように生活の中に落とし込んだ比喩が秀逸で、神様のことをより近く感じることが出来るのです。

ー神様との毎日

これまでのことを踏まえて、神様を信じて生活するということは、「神様っているんでしょ?」「神様すごい!」と何となく信じるものではなく、「神様が仰ることを一つ一つ行動しながら信じる」ということです。スポーツ選手が、勝利者インタビューで「自分を信じてよかったです!」と言っていたり、新進気鋭の実業家が「この製品は間違いありません、信じてください!」と言っているのを目にしたことがあります。彼らが価値を見出して信じている「自分」、「製品」がボクにとっての神様・聖書なのです。達成したい目的、なりたい自分、解決したい問題という様々な目的があって、世の中の人々がそれぞれ何かを信じて努力するように、神様を信じることで自分をコツコツと作り上げています。神様と言う大きな存在を信じているからと言って全てが簡単に上手くいくわけではありません。皆さんと同じもしくはそれ以上に大変で、もがきの毎日です。「今日は神様の言う通り完璧に出来た!」と言う日は一日もなく、「今日もこういうところが上手くいかなかった。」「明日こそこうやってみよう。」という反省の毎日です。これは未熟なボクだけではなく、素晴らしい先輩方や牧師さんも同様ではないでしょうか。しかし、そのもがきを神様は必ず見てくださっていますし、信じて祈って実践して積み重ねたことは、今すぐには無理でも必ず成就すると思っています。さらに願っていたことだけではなく、自分でも不可能だと思っていたことまで出来るようになると最近学ぶようになりました。これが何より甲斐のあることですし、何億円とお金を得るよりも社会的に高い地位になることよりも、ボクは喜びを感じます。友人がさりげなく優しくしてくれる、欲しかったものが手に入る、などすごく小さなことでも日々の中で願いが叶えば嬉しいし、より神様に感謝するようになります。上手くいかない日、失敗してしまった日は、聖書を学ぶようになった当初の熱い気持ちを思い出して自分を奮い立たせてまた頑張る。とても何気ない些細なことかもしれませんが、神様・聖書と言う揺るがない正しいものの範疇でこのような生活を送っているということが、「信じる」「信仰する」ということの真骨頂ではないかと思います。

ーあなたも信じてみませんか?

ここで提案があります。皆さんも何かを一心に信じてみませんか?確かに何かを信じることはエネルギーも要りますし、裏切られるのではないという不安もあります。その中でもボクが信じている「神様」というものは、特に宗教や信仰に近くない日本人からするととても抵抗があると思います。(ボクも初めはそうでした…)それでもボクは、この「信仰」に価値を感じて神様と共にする毎日です。そして最後に皆さんに理解してほしいのは、「人の信じることは決して否定してはいけないということ」です。例えばあなたが大好きな食べ物を「これめちゃくちゃおいしいから食べてみて!」と友人におすすめしたとします。その友人が「なんだこれ、まずい。食えたもんじゃない。」と全否定されたら大きなショックを受けるでしょう。だから、信じている対象の善悪はさておき、否定せず許容することが大切だと思います。だから神様を信じる人も、人やモノ今何か熱く信じている人も自信を持って信じ続けてみてください。きっと得られるものがあると思います。

来週に続く

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この記事を書いた人

Heaven's Fortune Churchに通う学生。
日々のことを記します。

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