私が聖書を学ぶ理由

記事を書いた人:はる IT企業で働く社会人一年目

私はもともとクリスチャンではない家で生まれ、高校2年生の時に伝道されて、クリスチャンになりました。信仰に縁もゆかりもない私がなぜ信仰を持つようになったのかについて話していこうと思います。

目次

世界で一番偉い人って誰?

私は小さい頃はよく伝記を読んでいた子供でした。

その中である疑問を抱くようになりました。

「世界で1番偉い人って誰だろう」

なぜそのように思ったかというと、世界で1番偉い人が分かったら、その人から学んで生きれば自分も人生が成功するのではないかと考えたからです。

それで、世界で1番偉い人は誰なのかを自分なりに考えました。

世界のさまざまな偉人の伝記が並ぶ中で、イエス・キリストの伝記もありました。

伝記を読んで行く中で、世界中の人が知っているような偉人と呼ばれる人のほとんどはにクリスチャンだということに気付きました。

(ガンジーのようなクリスチャンではない人でも、「私の人生に1番影響を与えた書物は聖書である」と言っていっていました。)

クリスチャンだということは、イエス・キリストを尊敬していて、イエス・キリストの教えに従って生きているということ。だから世界で1番偉い人はイエス・キリストなのではないかと思いました。それで、イエス・キリストは何をした人なのか、それを知れば、答えが見つかるかもしれないと思って、伝記を読んで調べるようになりました。

伝記を読んでみると、イエス・キリストは人々に神の教えを伝えたと書いてありました。しかし、その神の教えとは何なのかについては書かれていないくて、その時の私には知る由もありませんでした。

それを知りたくて、家にあった聖書をパラパラめくるも、その辞書のような本を読める気がしませんでした。

「世界で1番偉い人は誰か」という疑問も、やがて私の考えから忘れ去られていきました。

揺るぎない軸が欲しい

「何のために生きるのか」「どのように生きるのか」「自分は何者か」そのような疑問はどのような人でも一度は考えるものではないでしょうか。

そのような人生の問題に対して、宗教は「こう生きなさい」という教えを解くものという認識は、信仰を持っていない方でも、多くの方が持つ物だと思います。そして、「こう生きなさいと決められるのは嫌だ」と思っている方も中にはいると思います。そのように思うのはその人の自由だと思います。

でも私は聖書を学んで「このように生きなさい」という答えをもらうことがしっくり来ていて、心地の良いなと感じます。私はその答えを真剣に求めていたからです。

私がそれを1番求めていたのは中学生の時でした。私は両親が両方とも中国人なのですが、家族の価値観と、学校での日本人の同級生の価値観の違いに違和感を抱き始めたのが中学生の時でした。

自分の両親は中国の典型的な学歴主義で、勉強に関しては厳しく、勉強できる人=偉いという価値観を持っている一方で、日本人の同級生の間では、必ずしもそういう訳でもなく、協調性を持っている人や話が面白い人が人気者になる風潮がありました。話が面白いと言っても、私の場合、親にウケが良い話が同級生には全くウケないみたいなことがあって、何が面白いと思うのかは人によって違うのだということに戸惑いも感じていました。

その価値観の狭間に身を置く中で、だんだんと、何を中心にして生きるのが正解なのかが分からなくなりました。そして、「何のために生きるのか」という答えのない問いを抱き、その答えを探すために自己啓発本を読み漁ったり、ネットで名言を検索したりしていました。

信仰を持っていない時の自分を振り返ってみると、考えが色んな価値観の中を彷徨っていて、帰る場所が分からない雛鳥のようだったと思います。

初めて行ったの教会

私は中学2年生の時に初めて教会というものに行きました。(摂理の教会ではありません)きっかけは、私が当時好きだったアンネフランクの展示とワークショップを教会でやっているという情報を偶然得たからです。そこで、教会の牧師さんと偶然話すようになりました。

人と違うということに悩んでいる、という悩みを話すようになり、私は初めて、自分の悩みを受け止めてくれる人に出会いました。その安心感で「泣きそうです、、!」と言ったら、「泣いていんだよ」と言ってくれました。そしてさらに泣きそうになりました(笑)

また話の流れで、礼拝にも一度だけ参加するようになりました。

説教で、その牧師さんは、「悩んでいても、寝たら治るから大丈夫!!」っていうふうに、自己肯定感を上げてくれる話をしてくれていて、生活の中で人々が直面する様々な悩み事に対して、前向きになれるような言葉をかけてくれていました。

一つのものを信じていていることということに新鮮さを感じつつも、みんなが自分と同じように人生を生きる中で悩みを抱えていているところに安心感を抱き、心の家に帰ったような、懐かしさを感じました。

その時は、私は神様の存在すらも信じていなかったのですが、信仰をもつということに対して好奇心をもち、もっと礼拝に参加してみたい!と思うようになったのですが、その矢先、無神論者の両親に教会に行っていたことがバレて、反対に遭い、教会に行けなくなってしまいました。そのことを私はすごく未練に感じました。

両親が「神様はいない」と言うけれど、そもそも神様がいるかどうかは自分の親が決めることじゃないし、親が「教会に行く必要はない」と言ったから教会に行けなくなることが、なんだか悔しかったです。だから私は、もし次神様を信じる機会があったら、絶対に親にバレないようにして、最後まで自分の目で確かめようと思ったのです。そして、その機会はやがて訪れたのでした。

御言葉との出会い

私が摂理の人に出会い、本格的に聖書を学ぶようになったのは高校2年生の時でした。

聖書を通して、神様について学んで、そこから神様を信じるようになり、今に至ります。

神様は本当にいるのか、神様を信じて生きる人生はどんな人生なのか、それを絶対に自分の目で確かめようと思いました。
それが私が御言葉を聞く理由でした。

そして、御言葉を聞きながら徐々に自分の考えが変化していきました。
神様は本当にいるのだろうかという疑問から、
神様は本当にいるのかもしれないという可用性に変わり、
神様は本当にいるのだ!という確信になりました。

御言葉を通して神様についてたくさん学び、
御言葉を通して自分の考えとは全く違う神様の御心を知りました。
神様は私が生まれる前から私を愛して創造されていて、今も愛して毎日共にし、助けてくださっているということ、
神様に愛されているから私には計り知れない価値があるのだということを知りました。
そして、メシヤ•イエス様だけが間違いなく神様だけが立てられた救い人だということを確信しました。
誰よりも神様を愛し、その人生を捧げたチョンミョンソク先生の精神を受けて、私も神様を愛するようになりました。

私にとっての「信仰」

私にとって信仰を持つことは「家」のようなものです。神様を信じるということは、生活の中で色んな価値観と触れ合っても、最終的に帰る場所があるということです。それは私に大きな安心感をもたらすものです。

家がないと生きられないように、私にとって、信仰はなくてはならないものです。

また、宗教は「こう生きなさい」という教えを解くものだという認識に関して少し補足したいと思います。聖書を学ぶことは生き方を強制するものではありません。私にとって、聖書を学ぶことは、なりたい自分になるための手段です。元々「こうなりたい」という自分の理想があって、聖書を学ぶことによって、自分の理想とする姿に近づけるから学んでいます。

聖書を学ぶと、「こう生きなさい」的なことを言われることは事実ですが、それを知った上でどのように生きるかは各自の自由に委ねられています。神様を愛する道もあれば、愛さない道もあって、どちらを選ぶかは自由です。そして私は自ら選んで神様を信じて、神様を愛するという生き方を選んでいます。

私は聖書を学ぶ前から、自己啓発には興味があって、自分の内面を磨こうと、いろんなことをやってきたのですが、正直、聖書ほど自分の内面を成長させるものには出会ったことがないし、これからも出会うことはないと思います。それだけ、聖書を学ぶことは私にとっての最高の自己啓発です。だから、1人でも多くの人に聖書を学ぶことの素晴らしさを伝えたいと思っています。

私が運営しているSNS紹介

私は去年から、教会をオープンにしたインスタアカウントを運営しています。教会の牧会者や、教会に通う社会人の方にも出演いただき、教会内では大きな反響を呼んでいます。(自分で言うのもなんですが)

これをはじめた理由があります。私の最終的なビジョンは「すべての人にとって、聖書を学ぶことが自己啓発の手段の一つになること」です。

自分の内面を磨こうと思ったら、自己啓発本を読むことだったり、サークルやインターンに参加したり、習い事を始めたり、留学に行ったり、資格の勉強をしたり、世の中のいろんな知識をつけたり…様々な手段方法があると思います。その中で聖書を学ぶことも、一つの手段として、多くの人に認識してもらえたらいいなと思っています。

もちろん、聖書を学ぶことが良いかどうかは人それぞれだし、学ばないこともその人の自由だと思います。私も聖書を学ぶことを人に押し付けたいとは思いません。

でも、聖書を学ぶことが、自分の内面を磨くための選択肢の一つとして受け取ってもらえたら良いなと思って発信していきたいと思います。

私はSNSでの発信を通して、二つのことを伝えたいと思っています。

一つ目に、私が聖書を学んだ中で経験した実体験を発信することによって、「聖書を学ぶとこういう風になるんだ」というイメージ伝えたいと思っています。

そして、二つ目に、私たちの生活の中でも生きる聖書の考え方を紹介していきたいと思います。

私が運営しているアカウントはこちらです!

@haru_r2023
https://instagram.com/haru_r2023?igshid=NTc4MTIwNjQ2YQ==

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