美術大好きな大学生が、チョンミョンソク牧師の作品から感じたことは

月明洞 キリスト教福音宣教会 摂理

記事を書いた人 Midori
大学で美術を学んでいます。
旅行と自然が大好き。
休日は美術館へ。好きな画家はピエール・ボナール。

私は一度も先生(チョンミョンソク牧師)に直接お会いしたことはありません。ずっと映像で御言葉を聞いてきました。

一度もお会いしたことはないけれども、先生が行われたこと、話されたことを映像で見て、直接かかれた本を読んでみて、その思想と精神に感動して、もっと学びたいと思って今もこの場所にいます。

月明洞に行ったことを通して、その思いはもっと強くなりました。

月明洞とは先生が福音を伝える傍ら、1989年から故郷の地である月明洞の開発を行ってこられた、世界一大きな自然の教会とも言われる神様の自然聖殿です。

なぜ私がこのように感じるようになったのか、その経緯についてお話しします。

私は絵画が大好きです。美術館でいろいろな企画展を見るのですが、その中で一番好きなのは回顧展です。

回顧展とは、特定の作家を取り上げ、全生涯における作品や活動を総覧する展覧会のことです。最近では東京都美術館でアンリ・マティスの回顧展が行われていたことをご存知の方も多いのではないでしょうか。

作品には隠すことのできない作家自身の精神、思想が如実に現れます。それは誰もが称賛するような良い面も、人に見られたくないような後ろめたい面も。

隠そうとしても隠しきれない、その人らしさ、みたいなものが、良い意味でも悪い意味でも作品には現れてきてしまうのです。特にファインアートの分野の方は共感していただけるかと思います。

美大の先生も、作品には「体臭のようなもの」(隠したいけど隠し切れない自分らしさ、人柄の例えです)が現れてしまう、と話していらっしゃいました。

回顧展は、一人の作家の人生を、作品とともに追いかけていくことで、その人がどう制作を向き合ってきたのか、その「隠し切れず醸し出される精神、思想」を一番はっきり感じることができ、その人自身を知ることのできる最高の機会なんです。
実際に作家に会うことはできないけど、作品たちを通して作家に出会う体験ができる、という表現だと伝わりやすいでしょうか。

例えば、去年開催されていたゲルハルト・リヒター展。私はリヒター自体、特段好きな作家ではありませんでした。

しかし、若い頃から今に至るまで、彼がどのような考えをもって、制作してきたのか、その半生を知りながら作品を見ていったとき、今まで持っていたリヒターのイメージが覆され、とっても真摯に芸術と向き合い、自分と向き合っている、と感じるようになりました。

作品一つ一つ、その製作過程に至るまで、その人の精神が一貫して感じられ、とても感動したことを覚えています。

私は大学生になって御言葉を学び始めたのですが、ちょうどコロナの期間だったので、先生に一度もお会いしたことがありません。

先生について様々お話は伺ってきたし、映像で御言葉を聞いてきてはいたけれども、あまりにもスケールが大きかったり生きていらっしゃる環境も境遇も違うので、遠く感じてしまうときが多かったです。

だからこそ、私は先生について、もっとちゃんと知りたい、もっと実感を持ちたいと思っていました。そうしてこそ、先生がどんな人なのか、誰に聞かれても自信を持って話すことができると思っていました。

ですので、月明洞訪問の話をいただいたときに、先生が半生をかけてつくりあげられた月明洞は、先生の大回顧展じゃん!
(そして大自然もみれる!!) と思いました。

その人がつくった作品を見るならば、よりその人の思想を知り、感じることができることを知っている私にとって、月明洞は先生の精神に触れることのできる場所。まさに神様がくださった大きな機会!

先生本人にお会いすることはできなかったけれども、先生が作られた月明洞を通して、たくさん先生の人柄に触れることができました!


月明洞を通して感じた先生の人柄はいくつもありますが、そのなかで2つをあげてご紹介します(*^-^)

月明洞にはたくさんの作品があり、その一つ一つもどれも美しいのですが、今回はあえて、見落としてしまいがちな、小さなところに焦点をあててお話しします。

まずは月明洞の各地に置かれた小さな石たちについてです。

月明洞にはたくさんの大きな岩の造形がありますが、その間や、道の脇に、綺麗な丸い石がたくさん置いてあります。
中でも聖霊の道には、道沿いにずらっと小さな石が置いてありました。

出典:月明洞公式サイト 2022.06.05 雨が降る聖霊道

この石は、先生が明け方から夜遅くまで、一つ一つ道沿いに置いて行かれたという話を聞きました。また、もっといい石を見つけると石を交換して置いていらっしゃるんだとか。

こんなに小さなところまでこだわられているのか、という驚きと共に、神様の自然聖殿をもっと美しく、もっと素敵にして、神様を喜ばせようとする姿、神様に対して真心を尽くして真っ直ぐに生きていらっしゃる先生の姿を感じました。

続いて根っこの作品の松たちに関してです。

2022年の後半、先生はたくさんの根っこが素敵な松の木を見つけていらっしゃったことがあります。根っこが素敵な松の木は、最初から根っこが出ていたのではなくて、先生が自らその土を掘り起こしていく中で、その根の形を見つけるようになったものたちでした。根っこの形が素敵なものは本当に価値のある木なんだそうです。

御言葉でも普通なら見つけられないようなところを、神様が見つけるようにさせてくださったのだ、と教えてくださっていたのですが、実際に見に行ったところ、普通に歩いていたら絶対気づかないような、山の斜面の日陰や、道から外れたところにありました。

写真で見ていた木々たちは本当に美しくて素敵で勇壮な姿だったのに。立て看板さえなければ、目に止めることもしないような、そんなところに根っこの素敵な松たちがいました。

私はこれを見て衝撃でした。誰も気づかないような山奥の、またパッと見ただけではその価値もわからない松の木を、丁寧に掘り起こし、見つけたならば素敵に演出して、綺麗にして、皆が見れるように場所も整えていらっしゃいました。

このように松一本一本に接する姿を見て、先生に学ぶ一人一人のことも、人々の陰にいて誰も気づかなくても、人が見たらなんの取り柄のない人のように見えても、価値をもって接してくださり、その素敵さを見つけ出してくださる方なのだな、と思うようになりました。

月明洞は先生の思想と精神が詰まっている場所でした。

この場所に来て、自分が実際に見て経験したことで、今まで聞いてきたことの実感を持つことができるようになりました。そして、先生がどんな人なのか、自分が見てわかったから、自信を持って話せることが増えました。

作品に作家の思想が現れるように、先生が作ったもの、かいたものには先生自身の哲学と思想が大きく反映されています。

色々な噂が飛び交う中ではありますが、その人自身がかいたもの、話したものを見て、読んでみて、そしてその人がつくったものを、ぜひ一度、見てみてください。

月明洞にいくのは難しいという方は、先生つたえられている説教や、つくられた詩などを読んでみてはどうでしょうか。作品全体はもちろん、見過ごしてしまうような細部にまで宿る、その人の人生と人格を、より一層感じられると思います。

他の人が話したことを簡単に鵜呑みにして判断しないで、ご自身の目で確かめられることをおすすめします。

月明洞 キリスト教福音宣教会 摂理

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