2025年元旦から庭の木が倒れるとう衝撃的なことが起こった話と今年の抱負

皆さん、年末年始はいかがお過ごしですか?私は毎年子供達が冬休みの間は妻の実家に帰省しています。

義実家は周りが山に囲まれた自然豊かなところにある昔ながらの作りの日本家屋の一軒家で、そのため庭が広く子供達が自由に遊びまわることができます。そのため、長期休みになるとよく帰省しています。

ところで、今年の年末年始はとても風が強かったです。夜にごーごーと風が吹き荒れる音が雨戸をしめた家の中までよく聞こえました。

朝、新年を迎えて、今年はあえてゆっくり寝たいと思って初日の出を見るために早起きはしませんでした。

日が出て来て明るくなり、庭に出てみると、おどろいたことに庭の木が一本根本からばっさりと折れて倒れていました…

元旦からあまりに衝撃的な光景であったため何か意味がある啓示(神様からのお知らせ)かもしれない!?と思い考えてみました。聖書ではよく、木は人のたとえとして表現されることがあります。そのため、誰かに何かが起こるのか!?と思い当てはまる人はいないか考えてみました。

思いついた人がいたので、さっそくその人に連絡をして状態を聞いて、会いに行った方が良さそうな状況であったため家族と相談し、元旦から急遽車に飛び乗って高速道路を走らせてその人の元へ行きました。

その人を無事に病院に送り届けて義実家に戻りました。息子が一緒に来たいと言っていたので、一緒に行動し、帰りに近くの公園で遊んでから戻りました。

神様から木が倒れることを通して、危機的状況になる前に教えてもらい本当に感謝しました。その後、元気になった姿を拝見できました。

さて、倒れた木ですが、その後は剪定して、細かくして、乾燥させて、焚火にして燃やすようになったのですが、その剪定がとても大変でした。

切りにくく力が必要であったり、汚れがあったり、1本の木の剪定だけでも手が痛くなるほどでした…

剪定で思い出すのは、鄭明析牧師が月明洞の松の木を剪定してきた話です。去年、月明洞に行った時に牧師がどのように、どれくらい剪定したのかを映像を見ながら話を聞く機会がありました。

その話の中で牧師は3~4年間に約2000本の松の木の剪定をしていました。1本の剪定でもどれほど大変なのかを経験した私は、この牧師の行なったことがどれほど凄いことか実感するようになりました。

牧師は時には礼拝後にそのままスーツ姿で剪定している時もありました。剪定し始めると数時間ずっと行なうこともありました。

その想いはただひたすら神様のため、でした。

神様により美しい自然の聖殿を捧げるため、でした。

そんなことを思い出しながら作業をして、倒木の処理を済ませました。残念ながら、私は神様のためという崇高な想いは無く(;^_^A、ただ片づけなければいけないという使命感だけでした。

ちなみに、なぜ木が倒れてしまったかというと、強風のせいでもありますが、その木はカイガラムシという害虫にむしばまれていました。そのため、根本から腐りかけており、通常なら倒れないような風でも倒れてしまったのだと解かりました。

カイガラムシ(ご近所の小さな生き物たちより引用)

このこともなかなか考えさせられる状況でした。木を人とたとえるなら、害虫は…それにむしばまれるとはどういうことか…その結果倒れてしまう状況とはどういうことか…、正解を答えることは神様にしかできませんが、信仰的にも色々と解釈できると思いました。

何とは言いませんが、信仰的な害虫がもしあるならば、それを取り除かなければこのように信仰的にも倒れてしまうということがあると感じましたし、その害虫が自分にはいないのか?総点検しないといけないと気を引き締めるしかない機会になりました。

2025年、今年の抱負は「御言葉に真摯に向き合う」としました。今後、他にも思いつく抱負があるかもしれませんが、まずは神様の言葉によく耳を傾けてその都度適切な判断ができるようにしたいと思いました。信仰的な害虫がいるかいないかは御言葉と照らし合わせるとわかるはずですので、元旦に経験したことを生かして今年一年をより良い年にしていきたいと思います。

今年もどうぞよろしくお願いします。

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この記事を書いた人

天運教会(キリスト教福音宣教会)に所属する、総合内科、消化器内科、内視鏡を専門とする医師です。救急・ERやへき地医療を経験し、病院勤務医を経て現在はクリニックを開業し経営者となりました。2児の父でもあり、子育てと仕事の両立に奮闘しています。

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