「私にはできそうにないな」からの転換

記事を書いた人 pancake
反抗期(思春期と言われる時代)に、思う存分親に反抗した中高時代を過ごしたpancake。中高
はカトリックの学校へ通い、その後、プロテスタントの大学へ通った。その間も、ずっと無神論
者だった。子供の頃からとてもプライドが高く、人の話を深く聞くことが苦手(今は多少良く
なった)、失敗することを嫌う10代を過ごし、20代になってキリスト教福音宣教会に出会う。

私は、そもそも、無神論者だった。目に見えない存在(神様や、霊)を否定し、それとなくお正月には神社とお寺に家族で向かって、手を合わせているような生活をしていた。

ただ、クリスチャンの学校に通いながら、学校に併設されている礼拝堂や、チャペルは居心地の良さを感じていた。

そんな私が、さまざまな過程を経て、キリスト教福音宣教会に出会うようになるが、出会った頃のことは、またいつかお話しできたらと思う。

今日は、「行なうこと」についてお話ししたいと思う。

私が、チョンミョンソク牧師(この後は、人生の恩師として「先生」と呼ぶ)から「神様」の存在を知るようになって早20年以上が経った。先生から学ぶ内容は、難しいことや、理解するのに時間がかかる内容もたくさんあるが、一方で実生活に即していることもとても多く、さっそくやってみれば「確かに!このやり方最高かも!」と思うことの方がたくさんあった。


ただし、このように思うに至るまでには、数年かかった。最初の数年は、教会で教えてもらっても、「そうは言っても、、、」「私にはできそうにないな」「でも、ひとまずはこれをしないと」と思うことが多々あり、なかなか自分の生活で活かすことができなかった時期もたくさんあった。(今思えば、もったいない)そして、自分の耳に心地よい内容を聞いてき
た気がする。(大変もったいない)

でも、先生は、いつも神様の教えてくださることを、ひとまずやってみたり、神様からもらうアイデアを最優先にして来られた。もちろん、先生ご自身も、試行錯誤しながら神様の言葉を行ってきたこともあると、率直に礼拝で話してくださった。そのようなエピソードをたくさん聞くうちに、神様に「私にもやってみる力をください」と祈ってみるようになった。

そうしたら、わたしの心のエンジンが早くかかるようになった。また、いつの間にか「やろうか、やらないか」と、悩むことなくやってみている自分の姿があった。そして、やってみた結果、案外簡単だったり、想像以上の良い結果を得ることも多かった。

ただし、継続は難しいこともたくさんある。仕事も、子育ても、生活習慣を変えることも、言葉使いを見直すことも。そんな時も、先生は「最後まで」と教えてくれた。

それを聞いて、最後って、いつまで、いつになったらできるようになるのと最初は思っていたものの「失敗しても大丈夫」「できる時まで」「最後まで」と思いながら、続けて挑戦することを大事にするようになった。

そうすると、不思議と、失敗を恐れることなく、トライ&エラーを繰り返しながら、「行なうこと」を楽しめる自分になった。これは私にとって、本当に大きいこと。

今も、時に面倒だな、と思うことも、誰かやってくれたらいいのに、と思うこともあるけれど、自分がやってこそ得られる充実感を、神様の方法でこれからも挑戦していけたらと思う。
人生において大事なことを、たくさん教えてくれている恩師に感謝したい。

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