報道で言われているような人ではない

記事を書いた人 Midori
大学で美術を学んでいます。
旅行と自然が大好き。
休日は美術館へ。好きな画家はピエール・ボナール。

私は直接先生にお会いしたことはありませんが先生が行われたことを聞き、直接書かれた本を読んで、実際に作られたWMDを見て、この人は私はこんな人に出会ったことがない、この人は本物だ、そう確信しています。

今、さまざまな報道によって、真実なその人自身の言葉が揉み消されていくことが本当に悲しいです。

その人自身が発した、真実な言葉を、一言でも聞いて、読んで見ていただきたいです。
そうするならば、その人がどんな人なのか、言われているような人ではないことがわかっていただけると思います。

最近、私は鄭明析先生(以下先生)が書かれた本を読んでいます。
聖書を学ぶようになってたくさん御言葉を聞いてきましたが、先生がどんな人生を歩まれた方なのかをもっと知りたいと思ったからです。

特に最近読むようになった、先生のベトナム戦争参戦についてかかれた本について今回ご紹介します。
この本には、ひたすら自軍の戦友たちのために祈りながら、命懸けの日々の中で神様の愛、聖書でイエス様が教えてくださった教えを実践されていく姿が書かれています。

先生がベトナムで過ごされた日々は、それは本当に文字通り命がけです。
自分の命が生きるか死ぬか、そのような状況の中で、先生はいつも、敵を愛しなさいというイエス様の教えの通りに行ってこられました。

そのように行う中で、さまざまな戦果を立てていきます。何か結果が出た時、自分がやった、自分がすごい、そういうふうに書く人はたくさんいると思います。
でも先生は、絶対に、神様がこうしてくださった、神様が助けてくださったからだ、というふうに結ばれるのです。そして。このようにあなたたちにも神様が働きかけてくださるから、神様を信じて生きて生きなさい、そのように書かれていました。

そしてもっと驚いたことがあります。
戦場では神様を愛し仕え生きている先生だとしても、命が危険な目に遭うことがあります。
自分にとって、あまりにも辛いこと、苦しいことに直面した時、私たちの感覚ではどうしてこうなったのだ、神様のために頑張っているのにどうして、と考えてしまうかと思います。

ですが!
先生はそこで、神様に感謝されていました。
自分が死ぬ目に遭い、大変だったけれども辛かったとしても、自分の命が守られたことに感謝され、敵のため相手のためお祈りされていました。どうして、とはいわずに神様に接する姿に感嘆しました。

私も御言葉を学びはじめてから、親しい人が亡くなってしまいました。
御言葉を学んで人生が楽しくなって、幸せだとおもえるようになった矢先やってきたこの出来事に、神様はなんで、そのようにおもってしまう心もあり、お祈りはできず、ましてや感謝など口にもできませんでした。その時にこの本を読み、先生が極限の状態でも神様を呼び、感謝し、その御言葉通りに行うことが本当にあり得ないことだと感じました。

戦場での様々な生活は、神様、どうして自分はこんな目に、と思うことの連続だったと思います。それなのに、感謝し変わらず御言葉通りに行っていく生に本当に驚きました。

先生が行なわれたことは普通のことではないのだなぁと実際にそのような境遇に置かれてみて思うようになりました。
私も経験してやっと先生が行われてきたことの大きさを知るようになりました。

戦場という極限の場で、敵までも愛して行われたことももちろん、それらを綴るときに自分のことを誇るのではなくただ神様に感謝されることも、困難におかれても誰かのせい、神様のせいにもにせず感謝できることも、先生の人格を感じることができるのではないでしょうか。

このような、先生の本当の言葉と行いが届き、その行いがどれほどのものだったのか、実際に経験、想像しながら、皆さんが感じてもらえたら嬉しいです。

自分だったらどうするか、そのように考えた時、鄭明析先生の行いにハッとさせられるのではないでしょうか。
そしてそのような人が、報道で言われているような人ではないと、私たちがはっきり信じる理由を分かっていただけるとおもいます。

先生はずっと変わらずに私たちに、神様を愛すること、神様中心の人生を教えてくださり、実際にそのように生きている姿を見せてきてくださいました。御言葉もいつもたくさん教えてくださり、この世をどう生きていったらいいのか、教えてくださった私の人生の恩師です。

そんな先生のことを正しく知る人が増えていくことを願っています^^

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