このブログは、神様を愛して生きる私が、読んだ方に必ず学びのある知恵をお届けしていきます。
信仰を持って生きることがどれだけ楽しいか、1つの価値観として見ていただけると嬉しいです。
簡単な自己紹介
- 23歳のときに教会で御言葉を学ぶようになり、神様を愛するようになった
- 現在、31歳までずっと神様を愛して生きている
- 仕事は、急成長ITベンチャー企業の商品開発(事実、私が入社して半年で100→600人に従業員が増えました)
- 仕事はずっと教育事業(プログラミング、新入社員研修、御言葉も伝えてきました)
今回は、なぜ神様を信じ続けているのか、そんな価値観もあるんだという学びのある話が伝わると嬉しいです。
社会人として仕事をしながら信仰を持つのが実は大変
さて、信仰を持ったことがある方なら共感できると思いますが、絶対的に神様を愛しながら社会人として仕事をするのは意外と大変です。
そもそも、神様が自分の目で見えるわけではなく、仕事の仲間のほとんどが神様を知らないのが一般的です。
そんな環境の中で生活をしていると、「本当の自分がなんなのかわからなくなる」ことがあります。
私の場合、大きく分けて以下2つの自分がいると思っています。
- 御言葉を聞いて喜びがあふれる自分
- 仕事をしている自分
ほとんどの方が、子育てと仕事という自分を使い分けたりすると思います。
うまくバランスを取ることができたら問題ありません。
しかし、あまりにも忙しく仕事に没頭していると、何が本当の自分かわからなくなって混乱するときがあるんですよね。
私としては、「神様を愛している自分」が本来の自分でありたいと考えています。
なぜなら、私がたくさん御言葉を学んだ経験と、数々の体験を通して、もう神様がいないと説明つかない、そう自分で結論づけたからです。
そんな結論は、私の中で揺るぎなく存在しています。
それでも、仕事が忙しくて、没頭するしかない状況になるときがあります。もちろん、仕事は他者貢献ができて楽しいです。
牧師先生が、「仕事は要領よくやりなさい」とコーチしてくださったときがありました。
今思い返すと「ほんとそうだな!」とぐさっとくるものがあります。
そして、仕事仲間は本気で仕事に取り組んでいて、良い方達ばかりです。
さらに、ビジネススキルは僕よりも高いと思わされる仲間がたくさんいました。
社員の多くがものすごく生産性が高く、高い成果をいつも要求されました。
そんな環境の中、「仕事する自分」という仮面をかぶらざるを得なかったんです。
当たり前ですが、教会で挨拶のようにたくさん使われる「ハレルヤ」とか「アーメン」とか間違っても仕事仲間に言えません。
「仕事をする自分」という仮面をかぶり続けると、教会で御言葉を聞く自分も仮面をかぶっているのではと錯覚を起こすことがあるんです。
「あれ、本当の自分はなんだっけ?」と混乱をします。
今振り返ると、信仰が危ないからそんな考えが浮かぶんだと思います。
教会で御言葉を聞いてる自分と社会人として仕事をする自分。
大好きな御言葉が、混乱して頭に深く入ってこなくて、すごく苦しくなるときがありました。
それでも信仰を続けられる理由
本来の自分がわからなくなったとき、
信仰するのがつらいとき、
それでも私が御言葉を聞き続けているのは理由があります。
それは、「どんなときも神様に100%愛されている自信があるから」です。
私から神様に向かう愛が揺れることはあっても、神様が自分を愛してくれているという確信は、一度も疑ったことがありません。
7年前、神様を愛して生きていこうと決心してから、私はたくさん神様の愛を感じて生きてきました。
御言葉で全く恵みを受けれなくて、「自分は本当に大丈夫なのかな。。。」と思うときも何度もありました。
御言葉があまり頭に入ってこないとき、
牧師先生が病気をしている人、精神的に辛い人のために、切実に祈ってくださる姿がたくさんありました。
その祈りの声が、私の心に不思議と深く入ってきました。
前を向いて頑張ろうと、何度も力をもらいました。
そうやって色んなことを経験し、結論はいつも「神様を愛する自分」が一番幸せだとということに行き着きます。
私は、御言葉を学んだら人生の悩みが解決されると教えてもらいました。
事実、悩んでいたことは、御言葉のおかげでたくさん解決されてきました。
しかし、また新しい悩みが次々にたくさん出てきました。(僕の信仰が悪いだけかな)
ではもし御言葉を学んでいなかったら、どうなっていたか?
やっぱり人生の悩みはいつも起こります。
どんな選択を選んでも結局人生悩むなら、神様を愛する人生が一番幸せだと結論づけました。
あるとき、仕事の上司との1on1で「幸せですか?」と聞かれたことがあったんです。(今思うと不思議な質問だな)
私は、その質問に対して食い気味で、「はい」って答えることができました。
過去の自分、どんなに大変なことがあって、最高の選択をしてくれたと、褒めてあげたいです。
私は、神様を知らない人生、神様を愛している人生、どちらも生きたことがあります。
両者比較すると、神様を知らない期間の方が、3倍長いです。
神様を愛するようになって、色んな体験を通してどんどん神様への愛情が深くなったことを実感しています。
神様を愛する生き方を教えてくたさった牧師先生に感謝しかありません。
最後に:僕がどんなことがあって譲れない信念
どんなときも何か一つでも言葉が自分の信念になっていると、辛いときにすごく役立ちます。
私の信念は、「まず愛する人であること」です。
これは、牧師先生から直接手紙をもらって教えてくださった、私の信念です。
愛されることよりも、まずは神様を愛してみよう。そして、どんな人に対しても、まず自分から愛せるようになろう。
まさに、
22:37イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。 22:38これがいちばん大切な、第一のいましめである。 22:39第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。 22:40これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。- マタイによる福音書
口では言っても、やってみるとこれがものすごく難しく大変でした。
難しくても、まず先に自分から愛するに挑戦しているうちに、私の信念になりました。
事実として、会社の評価面談では、「相手を尊敬し、愛を持って接することができる」という評価を必ずもらっていました。
これは、間違いなく神様を愛するようになったからです。
そして、御言葉を学び続けたから。
愛することが、私の1つの誇りになりました。
あなたの信念は何でしょうか?
もしまだ信念がない方は、あると大変なときにその言葉が指針となって、助けてくれるので役立ちます。
それでは、また次回お楽しみに!
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