ちょっと哲学的な題です(^^;
子育てしていると、どんな親御さんも等しく経験すると思われるのが、子供の成長を経験して喜ぶことかと思います。
なぜなら、子供は生まれると最初は小さくてできないことしかないので、授乳など生まれ持った反射は別として、次々とできることが増えて日々喜びを感じるからです。
この喜びはきっと神様が人間に対して感じている喜びの1つかと思います。
聖書の一番最初にあるのが、創世記です。その創世記の最初に神様が人間にプレゼントとして祝福したものの1つが「成長の祝福」です。人間は大なり小なり成長するものですし、成長することは自身の喜びにもなるし、その姿を見ている神様にとっても喜びになります。
その喜びを分かち合いたくて神様は人間に「成長の祝福」をプレゼントしました。
つまり、そもそも人間は成長するものだし、それが喜びだし、だからこそさらに成長しようとするものです。そしてその成長の喜びを感じたくて育てるものです。
もちろん、その成長度合いや速度は個人差があるので、他人と比較するものではないと思います。目の前の1人だけを見て以前と比べて小さな1つでも成長したら、それが喜びだと思います。
できるようになるまで時間がかかるほど、それがとても小さなことでも、喜びは増幅されるような気がします。
うちの息子の場合、超がいくつもつくほど慎重派ですが、ジャングルジムを1段上ることができるようになってから2段目以上に上るようになるまで1年半以上かかりました…(^^; (それまではずっと横に移動していましたw)
その姿を見た時の喜びは涙が出そうだったのを覚えています。(恐らく、ジャングルジムを2段目以上に上る姿を見て涙しそうになる人は非常に少ないかと思います。)簡単にできるようになっていくのも良いですが、なかなかできなくて時間が長くかかってようやくできるようになるのはとっても些細なことがとっても大きな喜びになるものです。
当たり前のようにできないからこそ気づくことができる感じられる喜びがあるのだな~と子育てを通して気づくようになりました。存在するだけでも喜びとなりました。
神様にとっても同じなのだろうと思います。生きて存在するだけで喜びであり、ちょっとでも成長した時は喜びであり、しかもなかなか成長できず長くかかって成長した時の喜びは計り知れないだろうと思います。