最初に答えを言うとカルトではないです。それ以上もそれ以下もありません。
まあ、教会に所属する私が言うので、あまり信ぴょう性がないですかね(笑)
カルトについての質問があったので答えてみました。
カルトって聞いて皆さんはどんなイメージを持つでしょうか?自分はこの領域に詳しくないので、多くの専門家が伝えるカルトについての説明を引用するなら、「悪しき集団」というイメージを持たせる言葉のようです。
悪しき集団…
あまりに自分が過ごしてきた教会生活からかけ離れた言葉であり、私たちの教会はカルトではないとしか言いようがなくてこれ以上の説明は要らないと思いました。
毎朝、神様にお祈りを捧げて1日を始め、鄭明析牧師が御言葉を伝えて下さり、それを実践しながら毎日の学生生活や社会人生活を送っており、悪しき要素が全くありません。その御言葉の内容は端的に説明すると、神様を愛すること、人々を愛すること、よりよく成長するために実践したら良いことなどであり、悪しき行いを推奨するようなことは一切無いので、カルトとは言えないと思います。
言葉とはその使い方1つで、悪いイメージを与えるし、相手を傷つけるし、場合によっては相手を死に至らしめることもあるものです。もちろん、逆に人を生かすことができるのも言葉の特徴かと思います。
そして、言葉は使う人の心を反映することもあります。どんな言葉をどう使うか、結局はその言葉を使う人の心が大切かと思います。
ある言葉を耳にした時に、その言葉がどうして出てきたのか?発信者はどのような人なのか?どういう状態だったのか?そこまで考えてみる必要があることもあるかと思います。
例えば、カルト集団に対してカルトと言っているなら良いですが、カルトでない集団に対してカルトと言っているなら、その言葉を発信している人の心はどのような心なのか?どのような状況でそのような言葉を発信しているのか?考えないといけないと思います。なぜならカルトという言葉が悪しき集団に使われる言葉であり、悪いイメージを意図的に与える言葉であるので、そんな言葉を使うほどの発信者はどのような人なのか確認が必要と思います。相手に対して傷を与える言葉を使っているのですから。
と、様々に書き綴ってみましたが、質問に対する答えは私たちの教会はカルトではないということです。
それに加えて、言葉というのは人を生かしもしますが、傷も与え多くの人に悪いイメージを与え得るものでもあるので、どのような言葉を使うかは本当に大切なことです。そして、言葉はその人の心を反映することもあります。
自分にできることは、人を生かす言葉を常に発信できるように、まずは自分の心を磨くことを日々意識していくことだと思いました。