4月を迎えると私はいつも特別な思いになります。
それは、私が聖書を学び信仰を持つようになったのが4月だったからです。およそ20年前の4月に私は教会で礼拝を捧げるようになりました。
大学2年生の時でした。
この頃の話をしてみようと思いますが、あまりに沢山の経緯があるため、その中の1つを紹介しようと思います。他の話は気が向いた時に改めて。
聖書の話、つまり御言葉を学んでみないか?と話された時の話をしてみようと思います。当時、つまり大学1年生だった私は部活にサークルにバイトに明け暮れており、学業はそっちのけでした。
その時、私は「自分探しの旅に出る」がテーマでした。自分は何をすべきなのか?何をするために医師になるのか?どんな医師になるのか?そもそも自分ってどんな存在なのか?人生の目的のような、根本的なことに答えを求めていたので、そのようなテーマを掲げていました。
どうにもこうにも答えが見つからないので、バイトを辞めて、サークルも辞めて、部活を休部しました。休部して夜に時間ができたその日に友達から連絡がきて、教会の先輩を紹介されて聖書の御言葉を聞いてみないか?という話の流れになりました。
その時に言われたのが、
「あなたの求めている答えが全て聖書に書いてある」
でした。そして、私が思ったことは、
「何を偉そうに、お前に俺の何がわかる!」
でした(笑)
失礼な奴ですね・・・(^^;
当時の私は色々と経験してきたことに自信過剰になっており、自己中心的な人間でした。そのため、そのような幼い子供のような考えが浮かんでいました。後々深く反省したのを記憶しています。
そんな生意気だった私ですが、やはり答えが見つからないので、聖書を手にしてみることにしました。そして、御言葉を学んでみました。
最初の御言葉を聞いた時に私が思ったことは、
「聖書に出てくる人の話が私そのものの姿だ!!」
でした。
心の中の全てを見透かされたような不思議な衝撃を受けたのを覚えています。そのような衝撃がその後も何度も続き、私は聖書の御言葉を聞き続け、その年の4月に信仰を持つようになり(とは言っても熱心な信仰者というより、うわべだけのサークル気分だったと思いますが(^^;)、そして今に至ります。あ、今は全ての答えが聖書にあったと確信、かつ確認してきました。
当時はよくわかっていませんでしたが、このように御言葉を通して感動を与えて導いて下さるのが神様の働きなのだなと後で気づくようになりました。
今回はこの辺で終わりにします。また、気が向いた時に当時の話をしたいと思います。