このお題でブログを書くのはこれで3回目です。他の話は「初めて信仰を持った時の話~聖書の御言葉を紹介された(証された)日編~」と「初めて信仰を持った時の話~摂理メンバーとの出会い編~」をご覧ください。
さて、初めて神様を体験したのは、「なぜ私が摂理でなければいけない理由」の中に紹介しています。その次に体験したのは、御言葉を聞き始めて2か月くらい経ってからのことでした。当時は大学1年生の時でした。
祖父が亡くなったため、飛行機で葬儀に参列することになりました。祖父は太平洋戦争も経験しており、高度成長を支えた熱血社員としてがむしゃらに生きてきて、脳卒中で若くして倒れて施設で長く生活していました。
そんな祖父の訃報を遠く離れた地で聞いて、学生でありさほどお金があるわけではなかったのですが、一言でも直接お祈りしたいと思い、葬儀に参列することにしました。
当時、某大手航空会社ではキャッシュバックキャンペーンをしていて、搭乗者の中から抽選で飛行機代が全額返金されるキャンペーンをしている時でした。これ、いつの時期か調べたらわかるかもしれませんね(笑)
教会の先輩に葬儀へ参列してくる話をしたところ、キャッシュバック当たるようお祈りしてみたら、と言われたので、そんな私欲のためのようなお祈りなんて聞かれないだろう、と思いつつもせっかくなので祈ってみました。
すると、なんと!!帰りの飛行機で当選して、全額返金されたではありませんか!!!
その時の自分は神様がいるかどうか半信半疑の中で御言葉を聞いていたような状況でしたので、とってもびっくりして、思わず「神様、ハレルヤー!!」と叫びそうになりました。それと同時に神様は本当にいるんだー!と感動したのを覚えています。
帰ってくるや否や、この奇跡を報告するために教会のメンバーのところへ直接向かいました。「愛されているね~」と言われたことを覚えています。
当時、お祈りしていたことの一つに「神様がいるなら、わかりやすく体感できるように働きかけてください」というお祈りがありました。いや、これしか祈っていなかったかもしれません(笑)ただただこれだけを祈っていたと思います(;^_^A
お祈りが聞かれて、祈っていた通りに体感できるような神様の働きを体験しました。
しかし、その後ずっと疑うことなく神様の存在を信じていたわけではありません。何度も右往左往していました。しかし、その度にこの時の体験を思い出して、確かに体感したよね、と確認していました。そのように何かあった時に戻る原点のような体験です。
神様の存在は、いないと仮定すると説明がつかないことがあまりに世の中に多いので、信じざるを得ないと思います。また、逆にいると仮定すると説明できることもあまりに多いと思います。あとは気持ちの上で認められるかどうかかと思います。私の場合はそのように仮定しながら、幾度となく神様がいることを認めるしかない体験を繰り返していき、確信に至るようになりました。
一度、確信すると信じるという言葉に違和感を感じます。神様は存在するという事実があり、それを証明し認めているという感覚が正しいと感じています。
聖句にはこんなものがあります。「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。(へブル人への手紙11章1節)」まさにこの聖句のような感じでしょうか。
実際には、このような体験だけでなく、鄭明析牧師が伝える聖書を読み解く御言葉があってこそ神様の存在を確信するに至りました。牧師が伝える御言葉は聖書から神様という方がどんな方か、どのように働くかなどを詳しく解き明かしてくれています。その御言葉による知識もあって、その知識通りに体験するからこそ確信に至りました。
聖書には「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。(マタイによる福音書7章7節)」とあります。神様は実際に存在しているし皆さんに知ってもらいたいので、御言葉を学び確かな知識を得ながら、神様を求め続ければ必ず体験することができます。私はそのようにして神様を知っていきました。
今日はここらで終わろうと思います。また、良い時に信仰を持った時の話をしていきたいと思います。