今年は幸運なことに、つまり家族の理解と協力があって、私1人で韓国に行く機会を得ることができました。
夏の時は家族と良い思い出作りができ、子供達が韓国旅行と月明洞訪問を楽しむことができました。
今回は私が自由の身となって行くことにし、同じ職種の医師をはじめとした医療従事者と共に行くことになりました。家族には感謝しかありません。
天気は晴れから始まり、雨になりましたが、プログラムはすべて問題なく進行できました。
月明洞で聴くことができる話や、そこで出会える医療従事者との対話などを通して医学を深めるのが目的の訪問でした。
なぜ医学を深めるのに月明洞にいくのか?
医学(全ての学問)を突き詰めていくと、その根本には全ての創造主の神様が存在するから、神様を学ぶことが医学を深めることになります。そして、その神様を学ぶことができるのが、月明洞だからです。
もちろん、最新の医療を学ぶには学会に参加し、知識や技術のブラッシュアップが必要ですが、今回はそういった現場での実際の医療行為に関する勉強ではなく、1人の医療人としての志のような、神様が医療人に求めている考えのような、自分1人に向けられた神様の想い(御心と言ったりします)のようなものを知る勉強です。知るというより悟ると表現する方が正しいかもしれません。
なぜ月明洞で神様のことを学べるかと言いますと、月明洞にある岩や松の木は全て神様との経緯があり、その経緯を聴くと神様の想いや働き方がよくわかるからです。人間では成し得ない、わかりやすく言えば、奇跡が起こりある松の木が運ばれてきたりします。
ある1本の松の木が月明洞に植えられるようになった経緯を聴く機会がありました。(詳細は長すぎて伝えられませんが…(^_^;))
その話を通して、私が学んだことは、神様が人間に向けた愛の深さです。私自身が神様に愛されて、神様が私に対して働かれて、今生きているということを確信しました。さらに、私一人のことを通して、人間全てが同じように神様に愛されている存在であることをより一層深く実感する時間になりました。
そのような神様の人間への想いを感じますと、私自身に神様の想いが溢れてきて、他人に対して、特に患者さんに対して、よく接してあげたいと思うようになりました。無理やりによく接しようとするのでなく、自然な自発的な心でそのようにしたいと思うようになりました。
他にも、現地で出会った人を通して私個人に必要な話を様々に聴く機会があり、とても有意義な時間を過ごしました。あとは聴いた話を聴いただけで満足せずに実行に移していくことが課題だと思いました。
鄭明析牧師はその場にはいませんでしたが、牧師の言葉を代弁してくれる方にお会いすることや、牧師が実践してきた結果である月明洞を通して、牧師に間接的にお会いする機会になりました。
自身が大変な状況の中でもとてもよくもてなしてくれた牧師に感謝がつきません。とてもおいしい食事も用意してくれて大満足でした。神様の愛を実践する方だと改めて思いました。
韓国は食事も日本では味わえないものがあり、楽しかったです。うなぎの食べ放題には驚きました。
月明洞にあるカフェではおいしいお菓子とドリンクを楽しめます。
お腹もいっぱい、心もいっぱいな月明洞訪問となりとても感謝しました。帰国後からの診療に生かせる土産話も多くあり、さっそく実践していきたいと思います。また、良い時に良い形で月明洞に行きたいと心に決めました。