森と手紙~40代前半での就活

[記事を書いた人] 義実 東京在住。
大学院生時代に摂理の御言葉と出会い、それ以来神様を信じて生活をしています。今は妻と子供3人の5人暮らしで、ビジネスキャリアも後半戦の後半にさしかかり中。

その時私は人生で2回目の求職活動中だった。

当時、米国企業の日本法人に勤めていたが、お盆休み中に突然米国本社のディレクターと会議があるから会社に出てきくれと言われ出社すると、それは私が担っていたポジションを無くすことにしたので退職してくれという話だった。

日本法人は6人ほどの小所帯で日本側に労務法令関係の担当者はおらず、米国本社の人間は日本の労務法令にあまりにも疎かったようで米国同様の首の切り方ができると思っていたようだ。

その後の事の顛末は割愛するが、その話が出た8月末日で会社を退職した。ちなみに、私のパフォーマンスが悪かったのではなく、全社的なコスト削減の一環である人減らしがその理由であった。

話が急だったこともあり、退職時点で次の会社は決まっておらず、そこから求職活動が始まった。40代前半。3人の子供と妻との5人暮らし。住宅ローンもあった。大震災のあったその年は、リーマンショックの後遺症も癒えておらず、世の中は、どんよりとした雰囲気を引きずっていた。転職市場も今ほど活況を呈してはおらず、特に40代の私には応募案件もそうそう簡単には見つからなかった。

しかし、私には全く暗さは無かった。神様が時間の祝福を下さったと感謝した。多くはなかったが退職金も支払われたため、当面家族が路頭に迷うことも無かった。

そうこうするうちに、これは先生(チョンミョンソク牧師)に相談したいと思うことがあり、先生に手紙を書くことにした。当時先生は身動きの出来ない状況にあり、先生に相談するには手紙が唯一の手段だった。その相談も世界中から沢山の量が送られてくるため、私が手紙を送ったとしても、その返事が来ることは、あまり期待できる状況では無かった。それでも手紙を送らなければ何も始まらないと思い、家族で写っている写真も添えて手紙を送った。

鄭明析牧師 정명석 チョンミョンソク キリスト教福音宣教会 摂理 JMS

1990年代、先生は何度も日本に来て、日本で御言葉を学んでいる人達に沢山の時間を出した。私も直接先生と会ったことは何度かあったが、今に比べれば桁は小さいとは言え、それでも当時も人はそれなりにいたし、私のことを先生が憶えているとは思えなかった。

手紙を書いていた時点で、その時の私が最後に近くで先生に会ったのは、先生がドイツに滞在していた時期に、森の中で時間を共にしたときのことだった。森の中では、一緒にいた人達の人数も比較的小規模だったこともあり、私には非常に思い出深い機会だったので、手紙の冒頭にそのことを書いた。先生が私の手紙を手に取ったとき、私のことを認識する材料になればと思ったからである。

手紙を送った後は、先生が私の手紙に目を通せば、たとえ直接返事が無くても、先生が伝える御言葉や、生活の中で働きかけてくださる神様を通して、何か方向性が見出されるであろうと信じて過ごしていた。

そうして1ヶ月ほど経った11月上旬に1通のメールが届いていた。「先生から返事が届いたので送ります」という内容のメールだった。驚きとともに早速先生からの返事を開いた。そして、次の一文が目にとまった。


「ドイツ南部の森の中でのあなたのこと、憶えているよ。」

もちろん私はドイツで会ったことを手紙に書いたが「憶えていますか」とは書かなかった。しかし先生は私の心を分かっていた。そして、これはただ人の目だけがなせる技では無いと感じた。

また、私が相談の内容を手紙に書く際に、その背景を説明する目的で今求職活動中であることにも触れていた。相談の内容自体は求職活動についてのものではなく、あくまでも状況を説明するために書いたのだが、それについても
「会社、また探しなさい。アドナイ・エレだ。」
とあった。アドナイ・エレとは創世記22章14節に出てくる言葉である。


創世記22章14節
「それでアブラハムはその所の名をアドナイ・エレと呼んだ。これにより、人々は今日もなお「主の山に備えあり」と言う。」
(口語訳聖書より)

一言で言えば、神様が必要なものを備えてくださっているという意味だ。この言葉をもらって、私は必ず新しい職場が見つかると確信した。

あの当時、私のキャリアにおいて3社目となる会社を探していた。今は5社目の会社で働いている。あの返事が届いて21日後に新しい案件の面接が始まり、そのまま順調に選考が進んで、3社目となる会社からオファーを受けるようになった。

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