社会人 暗黒時代ー私がここまでやってこられたのは

不器用な自分の職歴をさらしつつ、なぜここまで社会人をやってこられたのかをお伝えします!なお、華麗なるキャリアではございませんのでご了承ください!

【自己紹介】
記事を書いた人 JIRO 東京在住。
学生時代に摂理に導かれ、今は社会人。妻と子とおもしろおかしく暮らしています。

目次

新卒入社のっけからつまずき

就活をして数社内定を取り、そこからとある金融系企業を選んで就職しました。やれるだろう!と根拠のない希望をいだいて入社したものの、新入社員研修を経て、放り込まれた営業職の現場では、まっっったくうまくいきませんでした。

職場での立ち振る舞いが分からず浮きまくり、「アカンやつ」キャラが早々に定着。お客様に投資商品(合法なやつ)を勧めようにも、どうしたらいいのか分からず、できない自分に落胆→萎縮して周囲に相談できない→状況悪化、のスパイラルに陥りました。

半年も経たないうちに職場に行くのが苦痛でしかたなくなり、何とか続けていたものの耐えきれず、しばらくしてその会社を去りました。いきなりの挫折です!

暗黒時代つづく

その後、少しの休憩期間を経て、あれこれ学んでみたり、興味のあるバイトをしてみたりと、自分の可能性を模索し、1年ほどが経過したところで小さなIT系ベンチャー企業に入社することができました。

自由そうな社風で良さげかなと思ったのものの、入ってみると…人が辞めてはまた採用、役割もコロコロ変わり、忙しすぎて深夜の帰宅も度々(職場の床で段ボール敷いて寝たことも)、なところでした。収入的にも、何とか生活できるかなという感じ。やっと入れた会社ではあったので、しばらく頑張っていましたが、将来に不安を感じ、入社して2年が経った頃に転職を思い立ちました。

現職を続けながら転職活動をするのは、それなりにパワーがいります。日々の仕事に手を抜けない一方、平日の朝晩や休日の時間を使って求人を探したり、選考に応募したり、応募書類や面接の準備に勤しみました。大した経験のない自分をどう表現しようか悩み、急に決まる選考の日程調整にも苦心しました。

そして現実は…応募しても書類で落とされ、やっと面接にこぎつけても結果は不合格。そのたびに打ちのめされました。これがきつかったですね。「もうだめだ」と「いやまだ頑張ろう」という気持ちを日々行ったり来たりしていたのを、今でも覚えています。

(そしてここまでの暗黒時代、教会の先輩方には様々に支えていただき、特にすごーくお世話になりました。感謝してます)

転職・転機・そして

それでもお祈りをしながら約半年転職活動を続け、奇跡的にとあるメーカーへの入社が決まりました!職場環境や収入面での不安ほぼ解消!

総務系の仕事に挑戦することとなり、分からないことだらけで、萎縮してしまうこともありましたが、そのたび切実に祈って行ない、乗り切ることができました。

そして、2年弱が経ったところで転機が訪れます。人事への異動です。

未経験ではありましたが、やってみると自分に合っていて、慣れてくると自分から色々と考え動くことができるようになりました。うまくいかないことも沢山ありましたし、忙しくもありましたが、「人事としてやっていきたい」と思えるまでになりました。

しかし、そこから3年程経ち、また別の部署へ移ることに。異動した先でも頑張ってみましたが、やはり人事として成長したい思いが強く、転職を決意します。

もうこの時点で転職回数を重ねていて、その割に人事経験も中途半端。自分が採用する側だったら、こんな経歴の人間は採らないだろうと思いつつ、しかしそれでもやってみようと思いました。

この転職活動も楽ではなかったです。選考はうまくいかないことの方が多く、落ち込んではまた立ち上がり、を繰り返していました。それでもこの時は、「たった一度の人生だから、たとえ笑われても、分不相応だと思われても、目指す道にいこう」と思うようになっていました。期間としては2年程継続し、色々なことがありましたが、ここでも奇跡的に転職が決まります。

そして今、自分がやりたかった人事の仕事ができています。

ここまでやってこられたのは

…と、ここまで自分の経歴を書き連ねてきました。みじめに思ったこと、きつかったこと、悔しかったこと、諦めそうになったことも多くありました。

それでも、ここまでこられたのは「諦めなかったから」だと思っています。
これは、私が先生(チョンミョンソク牧師)から学んだことです。

“摂理を始めたとき、私は見せるものがなかったのです。崩れかかっている家。臭いがするし、壁も崩れかかっていたし、座っていると蚊が刺すし、南京虫が刺すし。それで呼んで来たら、みんな御言葉伝えると、あちこちを見て、「ああ、壁が崩れないでしょうか?大丈夫でしょうか?怖いです。公園に行って聞いたらどうでしょう?」そういう所でやりました。しかし、今は、また、「信徒は何人いますか?」と聞かれたりしました。「今、開拓教会で始めたところです」と言いながらやってきました。御言葉一つでずっと宣べ伝えて、果敢に突き進めて来ました。”

2006年1月2日の明け方の御言葉より

“<月明洞の野心作>を積んだときも「5回」も崩れました。
<神様の御心をもって積んだ野心作>が崩れたので、人々は続けて失望し落胆しました。
<野心作>が崩れるたびに、「先生の心」も、「ついてくる人たちの心」も崩れ落ち、人々に顔を合わせるのが気まずかったです。
しかしもし、神様が<私たちが落胆すること>を心配して<野心作>を崩さなかったなら、
<神様の構想>どおりに<神様が地上に住む聖殿を象徴する>御座の形象に積むことはできませんでした。
<困難>があっても「神様の御心」をもって最後まで行なったので、<神様の最高の構想>どおりにつくっておくことができました。”

2022年3月30日 水曜の御言葉より

環境が良くなく、思う通りにものごとが進まず、時には誰にも言えないもどかしい思いをされたこともあったでしょうし、心が沈んでどうしようもないこともあったでしょう。しかしそれでも、神様が願われることをなそうと立ち上がり、諦めずに行なってこられたのが先生です。

先生のその姿勢を学び、自分自身も変化することができました。

いきなり大きく変化できたわけではなく、様々なもがきを繰り返し、時に立ち止まることもありながら、少しずつ学び、気づき、徐々に考えや行動が変わっていく―現在進行形でそんな感じです。

何もない私でしたが、先生から学んだ諦めない精神でここまでくることができました。

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この記事を書いた人

JIRO 東京在住。
学生時代に摂理に導かれ、今は社会人。妻と子とおもしろおかしく暮らしています。
好きなスポーツはサッカー、野球など。

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